見出し画像

父の病発覚

いつかは向き合う親の老や病、その時がこのコロナ禍と同時に来てしまいました。
社会状況が変化し、演奏家としてのアイデンティティに悩みながらも、今自分が向き合うべき家族の健康に関して、治療経過と共に記録していきます。

青天の霹靂

2020年3月6日、私の転機は突如訪れました。

同居する77歳の父が、珍しく胃の不調を訴えるので、夫が勤務する病院に連れて行った時のことです。

胃カメラ検査をした医師としばらく話をした後に、こわばった表情で出てきた夫が私に告げたのは、

「かなり進んだ癌だった。すぐに大きい病院で精密検査をしよう。」

という、最悪の結果でした。

------------------

振り返ること一月前の2月初旬。
新型コロナウィルスの感染拡大が、徐々に日本国内にも迫っていた頃のことです。

地元で久しぶりにオーケストラとの共演がありピリピリしていた私は、家族(私自身の両親、夫と中学生の娘)に家のことは任せっぱなしで、練習に明け暮れていました。
地域で長く活動を続けてきて中堅と言われる年齢になり、これまでより完成度を上げねばという気負いは年々増すばかり。

そう。今年で45になりました。
一般的に演奏家としてはちょうど脂が乗ってくる頃です。
ただ、家庭では親の介護や子供の反抗期、受験が重なる時期。さらに女性はそろそろ更年期による不調が現れ始める年代でもあります。
私自身は幸い健康状態に問題はなく、娘は放っておいても育ち、家事は元気な母に任せて、ここ数年ありがたい事に音楽だけに没頭する日々を過ごしていました。自分史上、最もストイックに練習に集中出来ていたかもしれません。
今年に入ってからは、持久力の強化に毎日隙間時間にジムに通ってエアロバイクを漕ぐなど、練習以外でも、何かに打ち込むことがもともと好きなのです。(夢中になってやり過ぎるところもありますが)

その辺りの性格は父親譲りかもしれません。
父は若い頃、社会人野球チームのピッチャーとして活躍していました。
ただし、夢中になり過ぎて無理が祟って身体を壊し、肝心な時に入院生活を送ったことがあるそうです。

画像1

本人お気に入りの一枚。胴上げされているのが父です。(昭和40年7月)

その経験からか、現役時は健康には人一倍気をつけ、その後病気らしい病気は一度もしませんでした。
退職して高齢者になってからも元気いっぱいで、歳の割に食欲はいつも旺盛。豪快に呑んで食べて人と集うことが好きな性格です。
私は子供の頃から、風邪ひとつ引かない頑丈な姿しか知りません。


そんな父が、自身の異変に気付いたのは1月末。地域の食事会で出た好物のブリの刺身が美味しく感じず、どうしても喉を通らなかったといいます。
そして、その日を境に食欲が激減していきました。

「最近、胃がもたれてね…」

確かその頃、そんなことを言っていたような気もしますが、私は特に気に留めていませんでした。

2月9日、オーケストラとの本番は無事に終わりましたが、ひと息つく暇もなく次の公演の準備に取りかからなければならず、慌ただしく打ち合わせやリハーサルが続きました。
そうしているうちに、気がつくとあっという間に2月が終わろうとしていました。

父は少し食が細くなり、ちょっと痩せたように見えました。
でも大して気に留めていませんでした。
そしてある日、下血があったとボソッと告げたのです。
夫が急いで胃カメラ検査の予約をしました。
それでも私はまだ「あらま、胃潰瘍なのかな」としか思っていませんでした。
よもや、進行癌が巣食っていたなんて、これっぽっちも考えが及ばず…。

がん検診嫌い

「70も過ぎて、今さら病気探しはしたくない」

現役の時ならまだしも、もう高齢者だからいい。常々そう言って、ここ何年もがん検診をしてこなかった私の両親。それは健康を過信しているからこそ出てくる言葉です。
いざ病が見つかって「明日死んでも構わない」と言える人はまずいないでしょう。

検査結果を知って家族全員、どれだけ後悔したことかわかりません。
医師である夫は普段から両親にがん検診を勧めていましたが、必要ないと笑って拒まれ、それ以上強くは言えなかったようです。
その日の夜は、
「毎年、自分が首に縄をつけてでも胃カメラ検査に連れて行くべきだった」
と責任を感じて一睡もできなかったそうです。それを聞いて、心底申し訳なくなりました。
自分の親の健康状態にこれまで注意を払ってこなかったのは、実の子である私自身ですから。

父の症状はかなり深刻で、胃の幽門部に7〜8センチ大の腫瘍があり、それが邪魔をして十二指腸に食べ物をほとんど送り込めなくなっている状態。食欲がないのは当然です。
さらに胃上部にも2センチ大の腫瘍があり、肝臓にも良からぬ影が見えていました。

週末を挟んで月曜日に大病院で診てもらうことになりましたが、それまで自宅で吐き戻すことがあればすぐに連絡するようにと言われ、緊張が走りました。

流動食にして、とにかく逆流だけは防がないといけません。
ここまで進行しているのに、食欲不振になるまで自覚症状がなかったなんて…癌とは本当に恐ろしい病です。
お正月にはお雑煮の大きな丸餅を3個もパクパクと食べていたのに。その頃にはもう、幽門部の腫瘍はそのお餅の大きさほどになって存在していたのです。胃の出口を塞ぐまで、無言で成長するのが癌なのです。

この日を境に、私の頭の中とタブレットの検索履歴は「癌」が大部分を占めるようになりました。

一人っ子の宿命

兄弟がいない自分に、いつかはこういう日が来ることはどこかでわかっていました。

18年前、長年暮らしたウィーンから完全帰国した1番の理由は「私しか両親や実家を見届ける人間がいない」ことだったのは事実ですし、
実際数年前には実家を建て替えて、老後の面倒をみるために同居するようになったのですから。

でも、だからと言って「今日から介護でも看護でもなんでもOK。まかせて!」とはなかなか言えません。
演奏会は年単位で先まで予定が入っているし、様々な企画に携わっていて、今自分が動けなくなるとどれだけの人に迷惑をかけることになるでしょうか。
両親は運転免許を返納済みのため、入院や通院にはどうしても自分が付き添うことになりますし、時間のやりくりが最大の課題となることは明確です。

まずは、週明けの検査を経て、治療方針が決まらないことにはどうしようもなく、頭が混乱する中、本人には
「大丈夫。何とかなるよ。」
と声をかけるのが精一杯でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?