本から感じるMy own story Vol.1
VOL.1
ディズニーありがとうの神様が教えてくれたこと
私は、このディズニー ○○の神様がお教えてくれたことシリーズが
だいすきだ。
どの本を見ても、気付いたら泣いている。
そして、さまざまな自分の記憶を呼び覚まして、
自分にはこんな経験や、こんな風に思う出来事があったことを
思い出させてくれる。
ディズニーありがとうの神様が教えてくれたこと
この本の中にも、私の心に
改めて感じさせられた気持ちと
自分が素直になれなかったり、
自分のとらえ方だけで行動してしまっていたことに
気付かされた物語がありました。
世間では、成人式の話題が目に入るこの時期。
私にとっては毎年、取り戻せない後悔が頭に浮かぶ時期。
そんなときに、毎回思い出される自分の後悔を
もう二度と繰り返さないように、
もし、似たような悩みを持つ方に
自分のような後悔をしてほしくない。
今の私になるまでにあった、私の体験を交えて
ご紹介していきたいと思います。
・・・・・・・・・・・
この本に書かれている物語はどれも
ディズニーランドの「ハピネス(幸福感)」が生まれる場所に読者をご案内する。という内容で、東京ディズニーランドの初代ナイトカストーディアル(夜間の清掃部門)から、その後はディズニー・ユニバーシティ(教育部門)にて全スタッフの育成指導に携わった作者の鎌田洋さんの体験を元にした「ありがとうの神様」にまつわる不思議な物語
として、書かれています。
第2話 真冬の桜ふぶき
ディズニーランドでセキュリティキャストとして働く女性を主人公に、その女性が仕事でのとある出来事をきっかけに、おちこんでしまい、過去の自分の過ちを繰り返しているのではないかという葛藤や、親に対しての思いが描かれている物語です。
この物語を読んだ私は、
上司から主人公の女性にかけられた
「だいたいの人が『規則だから仕方ない』と割り切っていることを、そうではないと葛藤し、心からゲストを幸せにしたい・・・と思ったんですよね」
という言葉に、とても胸が熱くなり、自分のなかにもこの主人公の女性と同じように、このような葛藤があることに気付かされました。
私自身が、仕事に対して日々感じている気持ちを、
この主人公の女性も持っていたのです。
そこに、上司の方のこの言葉や、同僚からの温かいメッセージを見て、
私は涙が止まらなくなりました。
私も、認められたいし、この葛藤の気持ちが通じてほしい。
自分の仕事に対する気持ちを、誰かに理解してほしい。
その気持ちが、主人公の女性と重なり、
自分が言われたかった言葉を、本を通じて掛けてもらえたことで、私の中にある、「認めてほしい」という気持ちに、温かく触れたのではないかと感じました。
そして、この物語には、働く中での葛藤と、もうひとつの物語が存在しています。
それが、親との物語。
表に見えている行動だけを自分の気持ちでとらえてしまい、親との関係に溝ができてしまった主人公が、ディズニーランドという場所で、どのようなハピネスに触れていくのかについては、ぜひあなたの目で読んで、感じてほしいと思います。
そのもう一つの物語。
それを読んだ私は、自分の成人式の後悔を思い返し、今後の自分のありかたについて、改めて考えさせられることになりました。
私は、成人式には参加していません。
ですが、振袖を着て写真だけは撮りました。
きっと、そのような方は、割といらっしゃるのではないかと思います。
成人式に出なかったことに対しての後悔はありません。
ここからは、本を読んだことで、思い出された
成人式当日に振袖を着なかった私が体験したMy own storyです。
私は、成人式には出ていません。
今の私は、地元の人(小学校・中学校)との交流も1人、2人くらい連絡先を知っている程度です。
地元の同窓会に誘われたことも、結婚式に呼ばれることもほぼありません。
私はそれでいいと思っているし、関わらなくても困っていることはありません。
そんな風に思えるのは、
小学校・中学校ともに、いい思い出がなことや、当時の自分を認めたくなかったり、否定したい気持から、当時の自分を知る人との関係を断ち切りたいと思ってしまった時期があったからだと思います。
成人式を迎える20歳の私は、
高校卒業後に、他県の短大に進学し一人暮らしをしていました。
成人式って、高校卒業して2年後だし、中学卒業して約5年しかたっていないのですよね。
その時の私は、家庭での問題や、小中学校時代の出来事などあまりプラスに思える出来事がなく、一人暮らしで他県に住んでいることがとても息抜きになっていたし、自由を感じられる時間でした。
私の家族は、個別に見たら中は悪くないですが、全体でみると仲がいいとは言えないような環境でした。
きっと、それが普通ではないことはわかりながらも、私は仲のいい家族にとても憧れていました。
特に、この時期は
・子供のころから口うるさく怒られたり、理不尽に怒られることが多かったので、家の中でも煙たがられている父
・とあることをきっかけに、あまり信頼できなかったり、煙たい存在のように思ってしまう母
に対しての気持ちが、大人になりきれない私には大きな問題になっていたのだと思います。
成人式に出ないと決めたのは、自分でした。
理由は
・小中学時代の同級生に会いたくないから
・行った所で、話しかけたい友達もいないし、一人になって浮くのもいやだ
そんな気持ちでした。
今でも思いますが、この気持ちは、自分にとっては大きな気持ちだし、きっと葛藤をしながらも、自分が傷つかない選択として決めたことなので後悔はしていません。
式にはでないものの、
前撮りとして、写真館で振袖を着て、写真を撮ることにしました。
どちらかといえば父と母なら、母と仲が良く、前撮りの日も母と妹と一緒に写真館に行きました。
一通りの写真をとり、成人式の時期が過ぎたころ、出来上がった写真をうけとました。
実家に行った際に、父に
「成人式の前撮りの写真できたよ」
と見せたことがありました。
その時に、父から言われた
『写真じゃ意味がないんだよ』
その一言に、自分がしてしまった事の大きさに気付かされました。
いくら口うるさく怒り、理不尽に怒鳴っているように見えた父も、自分を育ててくれた親です。
小さいころを思い返せば、優しかったり、自分を可愛がってくれていたと感じる思いでもあるはずです。
長女である、娘の成人式。
初めての娘の成人という、人生のイベントで、振袖を着ている姿を見る。
それは、親にとっても大切なイベントであったのだと、
その一言を聞いて、初めて私は気付きました。
自分が行きたくないから。
自分が○○だから。
自分の事だけ考えて、行動を決めてたことに気付かされました。
父は、私の成人式に振袖姿をみることを楽しみにしていたんだ。
直接、言われなくとも
『写真じゃ意味がないんだよ』
その一言に詰まった、思いに胸が張り裂けそうでした。
父だけではなく、
おばあちゃん、弟、親戚。
自分が成人になるまでに、お世話になった方は沢山いました。
けれど、私はいつからか一人で生きてきたような、
周りの大人を馬鹿にしたような。
そんな考えを持ってしまっていました。
お世話になった方々に、晴れ姿をみせる。
その発想が、私の中には、なかったのです。
その時の私は、父と母が不仲でなければ、、、
前撮りも一緒に来てもらえたのかもしれない。
せめて、前撮りに家族に来てもらえば、、、
そんな後悔の日々が始まりました。
父の言葉は私の胸に刺さり続け、
私はその罪悪感と後悔からどうにか抜け出すことはできないかと思い
もう一度同じ振袖を借りて、
家族で記念写真を撮りたい!
父も母も、おばあちゃんも、妹弟もよんで
全員で写真を撮りたい!!!
そう思いました。
写真館に確認したり、家族に提案しましたが
家族の賛成は得られないまま、かなえることはできませんでした。
そのころから、自分が結婚するときには、
和装ドレスを着て、父に見せたい。
そんな風に、おもうこともありました。
月日は流れ、妹たちの成人式の日。
私は母と一緒に、成人式会場の後ろの席で、式典に参加しました。
それも自分の中での償いだったのかもしれません。
そして、その日の夜に、とある行動を思いつきました。
妹の振袖を脱がせるのを手伝っていた私は、
この振袖を私が着て、父に見せたら、
自分が20歳の時に見せられなかった晴れ姿を、少しでも感じてもらえるのではないか。
なによりも
父に振袖を着た姿を見せたら、私の中にある罪悪感も少しは消化されるのではないか
そのように思い、
脱がせた順番とは逆に、自分で振袖を着付けていきました。
幸い、ファッション系のことを学んでいたので、和服の着付けの最低限の知識はあり、帯も簡単な結びなら結ぶことが出来たので、
自分で着付け、ヘアセットをした姿を父に見せることが出来ました。
その時にどんな反応をされたのか
どんな会話をしたのか
一緒に写真を撮ったのか
人間の記憶はズルいな…と、思いますが、覚えていないのです。
けれど、自分で着たことは鮮明に覚えています。
これをきっかけに、私の中にある罪悪感は、
3年越しに少し薄まったのでした。
ディズニーありがとうの神様が教えてくれたこと
の、本に書かれていた、父娘との物語とは直接関係はありませんが、この物語をみた私は、
1番に成人式の後悔を思い出したのでした。
これを見てくれた方の中に、これから成人式を迎える方がいるのなら、私のような後悔はしないで欲しい。
式には出なくてもいいから、家族やお世話になった方には、あなたの晴れ姿をぜひ、見せて欲しい。
私のエゴかもしれないけど、そう伝えたいです。
家族との関係も、在り方も
みんなそれぞれ違うから、きっと様々な価値観があると思います。
私が感じる価値観は、やはり
人に喜んで欲しい、笑顔でいて欲しい。
その笑顔や喜びを奪う行動をしていた自分への後悔と罪悪感に苦しんだのだと感じました。
全員に好かれることも、希望に沿うことも出来ない。
まずは自分の気持ちが1番。
その時に、少しでも周りの気持ちや背景を配慮出来れば、また違った人生になっていたのかもしれないです。
今も、完全な人間ではありませんが、
この出来事から、後悔について学んだので、
自分の在り方や行動について考えるきっかけになりました。
これが、今の私を作ってくれた、私の人生の1つの物語です。
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