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7月1日

梅雨が微妙に残って蒸し暑く、夏になるなあと毎年感じる7月の初め 私は毎年この日になると思うことがある そう、この日7月1日は父親の誕生日 離れてからも一度も忘れたことのない父親の誕生日 両親が離婚してから会う機会はないが、毎年お互いの誕生日には必ずメッセージを送り合う ただ一回だけメッセージを送れなかった年があった それは父親が再婚した、そう聞いた年だ 風の噂というものは怖いもので、どこからか流れてきて小耳に挟んだ父親の再婚の話 まだ若いから再婚してもおかしくはない

    • 居場所

      復帰後すぐの大会はひとつ上の先輩の最後の大会 スタートではなかったが、試合の途中名前を呼ばれ私は復帰後初めて公式戦に出た ユニホームを着て、たくさんの観客の中でコートに立つ自分、緊張とワクワクを感じるこの瞬間、 そう、私はこの感覚が好きだったんだ 「ただいま」と心の中で言ってコートに入った あ〜戻ってきた、帰ってきた 私の居場所はここなんだと それまでは練習がきつかったり、上手くできなくて悩んだり苦しかったり、目の前の苦しさやしんどさばかりを見ていたように思う しか

      • 一度死んで生まれ変わる

        17歳、人生2度目の手術 2度目だから1度目よりは恐怖も少ないかと思うかもしれないが、2度目の方が恐怖は大きかった なぜなら、その後の苦しみや辛いことを分かっているからだ 麻酔で寝て起きた時には今まで当たり前に出来ていた歩くことや日常生活が出来なくなっていること、動かない足を無理やり動かす苦しいリハビリ、仲間が練習に取り組む横でひたすらトレーニングをする毎日 全部これからの生活が苦しくて辛いことをわかっているからこそ、目を瞑るのがとても怖かった そして私はさらなる絶望

        • 3年間のバスケノートに詰まったもの

          部屋の掃除をしていたら高校時代に毎日書いていたバスケノートが出てきたから、少し広げてみることにした 3年間で10冊以上もあるノート その中にはたくさんの思い出が詰まっている それはもちろん厳しい練習の中にも仲間との楽しい思い出もたくさんある 今思えば辛かったことも笑い話だが、その当時は本当に生きるか死ぬかのような地獄の毎日を送っていた 私は入学当初からとにかく怪我の連続で、練習しては怪我をしての繰り返し 同級生たちはどんどん先輩たちと試合に出て経験していく横で、1人ぽつん

        7月1日

          伝えたい想い

          私には3個下の弟がいる。 私と弟は全くと言っていいほど性格が真反対の人間 だからこそぶつかり合いが少なく、小さい頃から今までずっと大きな喧嘩をした記憶もない 大人になった今では2人で買い物に行くほどの仲だ 世間一般的に見ると異性の姉弟がこんなに仲がいいのは珍しいと言われるが、それはきっと弟が優しいからであると私は思っている 高校生になってからはバスケ漬けの生活になり、ほとんど毎日の練習で家を開けていたし、家に帰っても疲労でご飯を食べてすぐ寝る生活だったため、ほとんどまとも

          伝えたい想い

          人生の始まりはバスケとの出会い

          私は小学2年生から高校3年生までずっとバスケ漬けの生活を送ってきた 今日はその話をしようかなと 母がやっていたこともあったし、転勤族の幼馴染が同じ学校に転校して来たこともあってミニバスに入ったことが私とバスケの出会い それまでどちらかといえば、外で走り回って遊ぶタイプではないし人見知りもすごくて母の後ろに隠れている、そんな内気な子だったため最初は正直そんなにやる気もなく、なんとなく誘われたからという理由でバスケを始めた 私はまあとんでもなく運動音痴で、走るのも遅ければシ

          人生の始まりはバスケとの出会い

          「ずっと一緒」 「永遠」 とかいう確証のない無責任な言葉が私は大嫌いだ そう思うようになったのは中学2年生の春先 端的に説明すると、親が離婚した 忘れもしない、父が急にいなくなったあの日は母の誕生日だった 鮮明に覚えていることは、その事実を告げられた時泣きじゃくる弟の横でなぜか涙の一滴も出なかったことだけ こんなにもなんとも言えない感情になることがあるんだなと変に冷静だった 元々両親はそんなに仲のいい感じではなかったことには子供ながら薄々気付いてはいた いつしか父親