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一度死んで生まれ変わる

17歳、人生2度目の手術

2度目だから1度目よりは恐怖も少ないかと思うかもしれないが、2度目の方が恐怖は大きかった
なぜなら、その後の苦しみや辛いことを分かっているからだ

麻酔で寝て起きた時には今まで当たり前に出来ていた歩くことや日常生活が出来なくなっていること、動かない足を無理やり動かす苦しいリハビリ、仲間が練習に取り組む横でひたすらトレーニングをする毎日

全部これからの生活が苦しくて辛いことをわかっているからこそ、目を瞑るのがとても怖かった

そして私はさらなる絶望を味わうことになる

手術をしたからと言って痛みがなくなり完治しているかと言われたらそうではない
それに加えて前回と逆膝を手術したため、言ってしまえば支える足がないのだ、庇う足がないのだ

痛みとの闘いの毎日が始まる

私はそう悟った

そこからリハビリを毎日続けて一つ一つステップをクリアしていく、車椅子から松葉杖、松葉杖を片方に、そして松葉杖を卒業して、歩けるようになった
2度目でありながらも、歩けるということを幸せに感じた
痛みもあるしまだまだ先は長いリハビリだが、ネガティブな面ではなく少しずつでもできることが増えていく、ポジティブにそんな毎日に感謝して前を向いていかないといけない、そう自分に言い聞かせて再びコートに立つことだけを見据えた

だいぶ歩けるようになったある日
みんなが練習を終え、誰もいない体育館で少し残ってトレーニングをしていた時になんとなくシュートを打ちたくなり、打ってみた

あんなにも軽々打てていたものが今では力を振り絞らないと打てなくなっている自分に悲しくなり、今まで前だけを向いて頑張っていこうと張り詰めていたものが一気に無くなり、1人泣いた
それと同時に、コートに帰る頃には絶対に前よりもパワーアップして戻ってやるという強い決意をした日でもあった

私はリハビリ期間中、トレーニングで身体づくりをすることと同時に、復帰した時どうやったら自分はコートに立てるのか、自分はどういうプレイを求められているのかを毎日のように考えた

私は前も書いたように運動神経もなく、能力も低い
それに加えて怪我もしている

となった時に周りと比べて私が上回っているものは何なのかを考えた

導き出した答えは2つ

ひとつは、頭

もうひとつは、シュート力

私の顧問の作るバスケは幸い、能力任せのバスケではなく頭を使った繊細なバスケ
だからこそ私がしっかりと理解して、動くことができれば私が生きるバスケなのだ

それに加えて自分の武器として闘ってきたシュート
怪我前はシュートを認めてもらえず、違うポジションとしてやってきたが復帰後そのポジションとしてやっていくことは身体的に厳しい
だからこそシュートを認めてもらうために、打ち続けて成果を残すことをしないといけない

身体がまだ動けないから考えることしかできかったが、今となればこの考える期間が私の生まれ変わるきっかけになったのではないかと感じている

そうして季節は過ぎ去り、高校2年生の夏

私は約4ヶ月間のリハビリを経て、コートに戻った


(次の投稿へ続く)

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