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人生の始まりはバスケとの出会い

私は小学2年生から高校3年生までずっとバスケ漬けの生活を送ってきた

今日はその話をしようかなと

母がやっていたこともあったし、転勤族の幼馴染が同じ学校に転校して来たこともあってミニバスに入ったことが私とバスケの出会い
それまでどちらかといえば、外で走り回って遊ぶタイプではないし人見知りもすごくて母の後ろに隠れている、そんな内気な子だったため最初は正直そんなにやる気もなく、なんとなく誘われたからという理由でバスケを始めた

私はまあとんでもなく運動音痴で、走るのも遅ければシュートも届かないしセンスもない
その傍で一緒に入った幼馴染はセンスが抜群にあるしすぐ上達していくためコーチに重宝されるし、自分との差は明らかで小さいながらそれを目の当たりにして何か感じるものがあったのを今でも覚えている

母はそんな私と幼馴染を比べるようになって、私にとってそれがすごく苦痛で仕方がなかった
でもそんな悲しみ以上に悔しさが大きかった
今思えば私の性格上その方が成長するし、成長するきっかけとなったので母は正しかったのかなとも思う

そんな時に母にある言葉を言われた

「みんなが10回なら50回、50回なら100回、人より才能や運動神経がないならその分人の何倍も練習して努力して諦めずに追いつこうとしなさい」

その時はただ必死にその言葉通り、俗に言うコソ練を積み重ねた
みんなが練習していない時にシュートを何本も打ち、暑い日も冬の雪が降っている日も毎日毎日親にチャリを走らせてもらって川沿いを走った時もあった
今この言葉を改めて見ると、すごく深くて重い言葉だなと感じる

振り返ってみると、すごく怒られたし怖かったしこんなスパルタ教育よく耐えれたなとも思う(笑)
正直とてもしんどくて、親からの期待や圧をプレッシャーに感じ、バスケを辞めたいと思った時もあった
けれど今思えば、あの時の厳しさは母からの愛情だったんだなとありがたく感じている

もう1つ母から言われた言葉ではっきりと覚えているものがある

「努力が報われない時もあるかもしれないけど、必ず誰かが見てくれているから、分かってくれる人がいるから、花が咲く時まで頑張り続けなさい
少なくともママは分かってるからね」

この言葉を言われた時、努力してもしてもセンスがある子たちに追いつけない現実を突きつけられ挫折をしかけている時だった
まだ10歳にもなっていない子どもながらに響くものがあったんだろう、私は泣いて喚いた
そんな私を母は黙って抱きしめてくれた

そんなこんなで私にとってこのミニバスに入ったことが人生の始まりだと言えるくらい大きな出来事である
バスケを始めたことで間違いなく人生が変わったし、21歳になった今この時バスケを始める選択をしていて本当に良かったなと思える
バスケと出会うきっかけを作ってくれて、ライバルとして居続けてくれた幼馴染に大感謝したい
そして何よりそばで支えて背中を押し続けてくれた母に感謝の気持ちでいっぱいである

まだまだバスケについて書きたいことはたくさんあるけど長くなっちゃうので今回はこの辺で終わろうかなと^_^

心の底から思うことは

「バスケに出会えてよかった」

ということです

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