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「ずっと一緒」

「永遠」

とかいう確証のない無責任な言葉が私は大嫌いだ
そう思うようになったのは中学2年生の春先

端的に説明すると、親が離婚した

忘れもしない、父が急にいなくなったあの日は母の誕生日だった

鮮明に覚えていることは、その事実を告げられた時泣きじゃくる弟の横でなぜか涙の一滴も出なかったことだけ
こんなにもなんとも言えない感情になることがあるんだなと変に冷静だった
元々両親はそんなに仲のいい感じではなかったことには子供ながら薄々気付いてはいた
いつしか父親は家にいる時間が減り、夜はご飯を食べるとすぐにどこかへ出かけて行った
けれど、まさか離婚するなんて頭にもなかった

父はとても真面目で人当たりも良く、仕事も頑張ってくれていたし、一度も怒られた記憶もない
わかりやすい愛情表現はないものの、優しく微笑み見守ってくれる、そんな父のことが私は好きだった
大切なものは失った時に気付く、とよく聞くが本当にそうだと思う
当時は思春期真っ只中で、素直な気持ちを伝えられていなかったため、私は死ぬほど後悔していることを実感した瞬間涙が溢れて止まらなかった

大人になった今、人としての価値観が違う中での結婚生活が難しいことは理解できるようになったため、両親が離婚したことに対して責める気持ちは一つもないし、母は何不自由なくここまで育ててくれて、家族3人の生活もとても楽しくやってきた
けれど、父親に対する後悔は一生消えることはないだろう

もっとありがとうと伝えておけばよかった

もっと甘えておけばよかった

もっといろんなことを一緒に経験しておけばよかった

私だけでも家に居場所を作ってあげていれば何かが変わっていたかもしれない

挙げればキリがないほど後悔しかないのだ
今さら何を言っても意味がないがゆえに、私はこの感情たちと死ぬまで付き合っていくんだと思うとどこか重く感じてしまう
そんなこんなあってどこか捻くれてしまった私は、愛情に対して不信感を抱くようになり、愛情を感じることに怯えるようになってしまったそれと同時に捨てられることへの恐怖心から尽くして尽くしまくる恋愛しかできなくなっていった

不信感があるくせに、寂しがりやな矛盾した難しい捻くれた性格だし、男は尽くされすぎたら調子に乗る生き物である
そんな恋愛上手く行くはずもなく、傷は深くなっていく一方でどれも呆気なく終わりを迎えていった

けれどもやっと今、本当の愛情に辿り着けたような気がしている
それは今隣にいてくれている彼のおかげだ
臆病な私に、温かい大きい愛情をくれるそんな彼のおかげで少しずつ少しずつ恐怖心や不安が飛んでいっているように思える

今胸を張って父親に言いたい

ありがとう、今私とても幸せだよ


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