lonely_planet

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最近の記事

不幸から逃げる

今日はなんとなく読んでいた蛙亭のイワクラさんのnoteに感銘を受けたので記録。 イワクラさんがこの記事の中でおススメしていた考え方 「不幸から全力で逃げる」ということ。 目からウロコだった。 そして私、不幸に全力で走って行っていたわ、って思った。 本当に世界って、考え方ひとつでガラッと見え方が変わる。 もがいてもがいて出口とか、解決策ばっかり見出そうとしていたけど、「逃げる」っていう発想はなかった。 そっか、逃げていいんだ。 実際に嫌な事象から離れるとか、環境の

    • 身体を整えることについて

      最近、自分が本当に自然と身体を整える行為に興味関心を持ち実践していることに気が付いた。 30歳を越えて、なんとなく身体と向き合う意識が高まっているのだろうか? 実践した中で、気が付いたことを書き記しておく。 筋トレについて 二ヶ月ほど前から筋トレを始めた。 昔は、「絶対に毎日やる!」と決めてはすぐに三日坊主で続かなかったのに今回二ヶ月続いているのは、自分の身の丈に合うペースを獲得したからだと思う。 思えば、昔はYouTubeで10分くらいの筋トレなどを試していたが

      • なんとなく考えていたら分かってきたこと やっぱり人は究極一人なんだということ いくら特別な存在だと思える相手がいたとしても 自分が一人だということには何の変わりもないこと むしろ一人じゃない、誰かと一心同体だと思うからこそ人生は苦しいものになる 先日書いた友達についてのnoteでも言ったけど 生きていくには孤独と付き合って追及していくしかない。 大切な人が居たとして 私とその人は1+1=2になるのが理想。 そのためには自分一人でまずは1になる。 誰かが居て初めて1に

        • 友達って本当に必要ですか?

          幼い時から 「お友達」とは仲良く 「友達」をたくさん作ろう そんな言葉を当たり前のように聞いて育ってきたけど 「友達」って一体なんだろう。 中学、高校までは友達が居ないと恥ずかしいことだと思ってた。 同じ年ごろの子たちがたくさん居る中で一人になってしまうのは周りから見て恥ずかしいことで、友達が多い人や、いつもみんなの中心に居る人こそカースト上位だという暗黙の共通認識は確かにあったと思う。 私も例にもれず、みんなに望まれているキャラクター像に徹して一人にならないように学生生活

        不幸から逃げる

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          新年を迎えたけれど心の中はずっと曇り空だった。 自分の心の置き所が分からなくなってしまって、うろうろしたままどこにも落ち着けなかった。 原因は二つ。 一つ目は、年始に実家に帰ったこと。 私の両親の夫婦仲はとっくに破綻していて、父親は年末年始も家に帰ってこず、母親もそのことについて何も言及しない。 強い女性だから我慢できるのではなくて、あまりにも弱いから何も言えず、現状を変えることもできず、何年間もずっとこのままなのだ。 私が年始に実家に帰ると伝えたとき、母親はとても喜んだ

          神様

          神様なんて信じていなかった。 宗教や信仰自体を否定する気持ちは一切ないけれど、自分とは無関係だと感じていた。 それが昨日、ふと神様の存在について考えることがあった。 信仰や宗教はもともと、【神様】がいてそれに付随して信じる人が生まれるのだと思ってた。 でも、昨日ふと【神様】は自分が創り出すものなのかもしれないと思った瞬間に私の中に【神様】が生まれた。 何故その考えに至ったかというと、 それは些細なことだった。 昨日もいつもと同じように恋人と何の変哲もなく夕食を食べ、

          ジョゼと虎と魚たち

          一度、映画館で観たことがあったけれど ふとまた観たくなって見返した。 はじめて観た時よりも、強く深くこの作品の素晴らしさを感じた。 ということで、この作品への愛を語りたい。 キャラクターそれぞれの魅力。 そして、くるりの音楽に載せて流れる美しく、儚い映像。 まず恒夫という男の子が非常に親しみが持てる。 馬鹿みたいに真っ直ぐで、 ある意味自分の欲望に対して素直すぎて面白い。 性にも奔放で、大学にはセックスフレンドがいて、気になる可愛い女の子もいる。 だけどどこか憎めな

          ジョゼと虎と魚たち

          ケイコ 目を澄ませて

          「ケイコ 目を澄ませて」という映画を観た。 終始心地よいと感じたのは 劇中BGMがないからだと気付いた。(エンドロールも) 流れてくるのは、 電車の音や足音や、ペンが紙の上を走る音。 音楽があると、どうしても感情がつられてしまう (それこそ映画の醍醐味でもあるし、それはそれで勿論良さがある) だから、この映画はとても新鮮に感じた。 こう思わないといけない、みたいなものはなくて どのシーンも私が目で見て耳で聞いて 自分の感情を判断できた 映画の中の時代としては まさ

          ケイコ 目を澄ませて

          文章にすると落ち着くのでただただ記す

          また思考ががんじがらめ期に入った もはや自ら好んでそうしてるのでは? とすら思えてくる 人は圧倒的に1人だ 一緒に暮らしていても どんなに近くにいても 相手をコントロールすることはできない 感情の変化を責めることもできない 分かっているのに いつかその日がくることが怖くてしょうがなくて まだ起こっていないことを不安がって 頭が重くなる 何も手が付かなくて じっとしていることしかできない 辛いけれど、受け入れざるをえないことが起きたとき 痛みが引くのをじっと待つしかな

          文章にすると落ち着くのでただただ記す

          世界

          考え方一つで見ていた世界が180度変わる 私の世界はあちこち行ったり来たり 最近はそれが顕著でとっても疲れた 一人で生きていたとき、 何をして楽しかったのか、何をして心地良かったのか 最近は思い出せなくて 水の中で、必死に息継ぎはしようとするけど うまく息が吸えなくてもがいてもがいて そんな毎日だった 恋人に依存したり、期待したくなくて 2人で生活しているのに 自分は1人だ、と思い込んでみたりもした そうすればするほどに お互いの存在意義がわからなくなって 頭の中

          軽やかに生きる

          軽やかに生きる 私の人生の中で考えたことがなかったけど もしかすると私がこれから向き合うべき課題なのかもしれない と突然思った。 起きた物事のことや、なぜ相手がそうしたのかとかを 私は考えすぎてしまう。 ぐるぐるぐるぐる考えて、考えすぎて いつも勝手に結論を出してしまう。 私に足りていないのは軽やかさ。 私は失うことが極端に怖い。 今手に持っているものが消えてなくなるのが怖くてしょうがない。 でもそれは、大切だから、とかじゃなくて 何もない自分になるのが怖いからなんだ

          軽やかに生きる

          見えたもの

          最近体を動かして汗をかいてないなぁと思って ふいに走りたくなったのでジョギングをしてきた 携帯は持たず、時間も気にせず 自分の気が済むまで走った 何も考えず、頭をからっぽにしてただ走ることでいろんなことが見えた ダイエット目的とか、痩せたいとかで走るときはつらいと感じるのに 自分が走りたい、走って汗をかいて気持ちよくなりたい、という意志のもと走るのでは、 同じ行為なのに全然ちがうように感じた これってもしかして日々のあらゆることで言えることかもしれない 例えば、ご飯

          見えたもの

          巡る

          ずっと雨が降ってる じめじめするから家ではずっとサーキュレーターが回っている 静かな場所に行きたくなる 最近1人でどこかへ行くとか、何かをするっていうことが仕事以外で無くなって、ずっと2人でいる。 相手が何を思っているか、手に取るように流れ込んできて、どこからどこまでが自分の思考だったのかよく分からなくなる時がある 逃げ出したくなるのに 一人になるのはこわいと思う 何も考えないということを昨日から試してる ただ起きた事象に対して感じて、行動する 少しそれで気が楽になっ

          節目を迎えるにあたって現状整理をする

          あと4ヶ月くらいで30歳になる。 自分が30歳て変なかんじ。 30年も生きたのかー、まだまだ精神は幼くて 思い描く理想とは程遠いけど 昔と比べれば少しは大人になれてる気もする。あくまで当社比だけど。 人と暮らし始めるっていう大きな変化があって もがきながらなんとか心地よい形を模索してる。 自分の価値観と人の価値観はちがうって分かっていたけど、いざ恋人に置き替えるとそれが分からなくなる。 自分からしたら悲しいことや許せないことが向こうからしたら大したことじゃないっていうの

          節目を迎えるにあたって現状整理をする