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思考を貼り付ける試みとしてのアウトプット

恋人との同棲生活を始めてから約2年

知らず知らずのうちに私の生活の軸は、自分軸ではなくて、恋人へと変わっていた。

スーパーで買い物をする時も、料理の献立を考える時も
「これ、好きって言ってたな」とか「これは嫌いだっけか」とか
選択する上での一番上に恋人の存在があった。

最初はそんな生活にも幸せを感じていたように思うけど、
きっとこの2年という年月が鬼門なんだと思う。
ここ最近、私はそんな生活にほとほと嫌気がさして、ここではないどこか遠くの町にでもふらっと行ってしまいたいようなそんな気分になることがある。

何故嫌気がさしたのかを考えると、
私が無意識にやってしまっている自分より恋人を優先する行為を
恋人は私に対して行わないから
なんだと思う。

恋人からしたら「知らんわ」という感じだと思うけど、
私は自分より他人を優先してしまうクセがどうやらついていて、自分でやっていることなのに勝手にイライラを溜めていくという厄介な生き物であることが最近分かってきた。

何故こうなってしまったのかは何となく自分でも分かっているけど、いつまでもそんなことを言っていても仕方がないのでここでは割愛する。

今日、なんとなくSNSを見ていた時に見かけた言葉が深く自分に刺さった。
「自分の人生は自分の為にある」ということ。
そして他の人も同じくそうであるということ。
だからどんなに近い恋人だとしても、尊重と礼儀も大切にしながら、ある一定の距離を置くことが大切なんだと思う。
「恋人」とか「夫婦」の在り方とかって、結構勝手につくられたイメージ像が強いのかもしれない。
"支え合うべき"とか"尽くすべき"とか、だから苦しくなるんだと思う。

恋人でもなく、夫婦でもなく、私とあなた、それだけで良いんだなって思う。
(そうは言うけど、結局いつもそこに囚われてしまって、バッドモードに入っているから実践は結構難しい)

そこで、どうやって思考を維持できるのか考えてみた。
それが「毎日noteを書くということ」
思考が維持できなくなる原因としてSNSが大きく影響していると感じた。
空いた時間や暇なときに、無意識にSNSを見る時間が多くて、勿論それによって得られる有益な情報や良いこともあるけど、余りにも情報量が多すぎて、自分の脳内のキャパを超えて大切なことまで押し出されてしまっているような気がする。

ただ、この習慣はきっと根付いてしまったもので「SNS断ち」を遂行したとしてもきっと1日持つか持たないかだろう。

だから、すべてを無くすのではなく、その時間を一部noteを書くことに充てようと思う。
SNS見よっかなーと思ったタイミングで「あ、note書くか」みたいな軽いノリで続けられたらいいなと思っている。

noteに限らず、自分の思っていることや、感じたことなど何でもいいからアウトプットすると脳がすっきりする感覚がある。
それはSNSを見ている時とは真逆の感覚で、渋滞していた脳の情報が整理整頓されて空きスペースができるような感覚。

そういえば学生時代、「記憶するためにはアウトプットが重要」なんて聞いたことがあったけど、こういうことだったのかと今更気づく。

#この夏やりたいこと

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