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夫婦という呪い

金田朋子さんの離婚のニュースを見て、凄く良いなと思った。
戸籍上の夫婦ではなくなるだけで、家族を続けるという選択。

色んな世の中の意見がある中で、その選択を何度も家族で話し合って決断して発表できるというそのこと自体が、金田さんたちの絆を表しているなと思った。

私自身も、ずっと前から関係性に名前がついていることに疑問を感じていた。
物心がついた時から「夫婦」「恋人」「友達」「男」「女」とか、とにかくなんにでも名前がついていた。
そして名前がついているのと同じくらい、その関係性の中身もすでにテンプレート化されているように感じていた。

「友達」だから、「恋人」だから支え合う。応援しあう。辛い時にはそばに居てあげる。「夫婦」だから健やかなるときも病める時も、なんて一種の呪いに近いと思う。
もちろん関係性に名前がついている安心感とか、名前が付くことでの社会に正式に認められた喜びとか良い面だってあるとは思う。
でも、人によっては、そのうち自分をがんじがらめにして動けなくする楔になりかねないんじゃないかって思う。
何でそう思うかって、私が一番そう思ってしまう人間だから。

金田さんも言っていたけど、
私も0か100か、白か黒かみたいな物事を極端に考えてしまう思考のクセがああるからこそ
「恋人」だからこうしなきゃ、「恋人」なのにこうしてくれないとか
事あるごとに一喜一憂してしまうのはその思い込みのせいなんだと思う。

金田さんが言っていた
「婚姻関係でなくなれば"絶対に夢をサポートしなければいけない"という責任感からではなく、心から応援できると思いました。」
という言葉がすごく自分の中で腑に落ちて、凄く良いなって思った。

実際、やることの中身は変わらないかもしれない。
でも、その関係性という呪いが無くなった時、自分の心が解放されて、「夫婦」だからではなくて本当の意味で相手を想うことができるんだってすごく共感できた。

どんな関係性でも決めつけることがお互いに苦しくなってくるんだろうなって思う。
どんな時も、どんな相手も、一人の人として目を澄ませることが私の人生のテーマであり、課題でもある。

私自身は今、「恋人」と呼ばれる関係性に当たる相手が居るけれど、できるだけ意識的にその名前を考えないようにしたい。

彼は彼で、それだけでしかない。
そして私も、ただ私であるというだけ。

一人として同じ人が居ないように、関係性だって一つも全く同じ関係性は存在しない。
オリジナルな関係という認識がもっともっと世の中に広がれば、実は生きやすくなる人って性別にかかわらず多い気がする。

私も悩んでいる内の一人だから、こうして金田さんが公の場に発表してくれたことが心強くて、凄く救われた気持ちになった。

またきっと喧嘩もするし、同じことで悩んでしまうんだろうけど、
少しでも「あっ」って気付いて立ち止まれる芽が生まれる、それだけで凄く大きな変化だと思う。
この芽がいつか大きな木になっていけばいいなって思う。


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