ジョゼと虎と魚たち


一度、映画館で観たことがあったけれど
ふとまた観たくなって見返した。

はじめて観た時よりも、強く深くこの作品の素晴らしさを感じた。
ということで、この作品への愛を語りたい。


キャラクターそれぞれの魅力。
そして、くるりの音楽に載せて流れる美しく、儚い映像。

まず恒夫という男の子が非常に親しみが持てる。

馬鹿みたいに真っ直ぐで、
ある意味自分の欲望に対して素直すぎて面白い。

性にも奔放で、大学にはセックスフレンドがいて、気になる可愛い女の子もいる。
だけどどこか憎めない今時の男の子。

ジョゼに対しても、身障者として構えることなくはじめから一人の女の子として気さくに接していく。

何も考えていないからこそ取れる態度。
その気さくさがジョゼにとってどれだけ嬉しいことだろう、と思った。

先のことなどあまり考えてなくて、目の前の自分がやりたいことに対して真っ直ぐに進んでいく。

でも、ジョゼと一緒に住んで、身障者と過ごすということを身をもって感じて、現実を嫌でも見ないといけなくなった時に恒夫はひるんでしまった。

別れを選ぶことにした原因には恒夫自身の若さもあるだろうけれど、素直で嘘のつかない恒夫らしい選択だとも思った。

自分をごまかしながら過ごすことができない馬鹿正直さが恒夫の良さだと思った。


対してジョゼは、最初から恒夫とずっと人生を共にすることを思い描いていないように感じた。
祖母から言われていた「あんたは壊れもんや」という言葉。ジョゼにとっての呪いの言葉。
きっとジョゼは恒夫がいずれ去ることを知っていた。

恒夫とジョゼの最初で最後の旅行中、ジョゼは言う。
「目閉じて。何が見える?」
恒夫は、「真っ暗。」と答える。
「そこが昔うちがおった場所や。深い深い海の底。
そこには光も音もなくて風も吹かへんし雨も降らへんでシーンと静かやねん。
別に寂しくはない。初めからなんにもないねんもん。
ただゆっくりゆっくり時間が過ぎていくだけや。
うちはもう二度とあの場所には戻られへんねやろ。
いつかあんたがおらんようになったら迷子の貝殻みたいにひとりぼっちで海の底をコロコロ転がり続けることになるんやろ。
でもまぁ、それもまたよしや」

一度誰かの温もりを知ってしまったジョゼは、誰も居なかった静かな海にはもう戻れない。
それでもいい、と口にするジョゼは自分が身障者であるからゆえの諦めを感じる。
きっとこの諦めはずっとずっとジョゼが抱えてきたものなのだろう、と思った。

手に入れられないもの、目の前を通り過ぎていくもの、ジョゼが見てきた世界。
その全てが今のジョゼを形作っている。
哀しいけれど、とても強くて美しい女性。

最後のシーン、電動車椅子で颯爽と歩道を走るジョゼ。
その背中には哀しさなどない。
ただ前の生活に戻っただけ、毅然としたジョゼの背中はとても頼もしかった。

ジョゼの好きなサガンの小説のセリフも良い。

「いつかあなたはあの男を愛さなくなるだろう、とヴェルナールは静かに言った。
そしていつか僕もまたあなたを愛さなくなるだろう。
我々はまたもや孤独になる。
それでも同じことなのだ。
そこにまた流れ去った一年の月日があるだけなのだ。」

ジョゼと恒夫は、いろいろな障害を前に別れてしまったけれど、決してそれは特別なことじゃない。
誰に対しても、どんな関係でも別れは必ず訪れる。

人と人が完璧に分かりあうことなどない。
恋愛は決して思い通りにならない。
だからこそ、通じ合えた時の一瞬のきらめきは美しいのだろう。

いつか別れが来るからこそ大切にしないといけない。
一瞬一瞬を噛み締めなければと、身に染みた。

テーマとしては身障者と健常者の恋、と思いがちだけど私はそうは思わなかった。

これはよくある、ありがちなひとりの男とひとりの女の恋と別れの物語だ。

きっと人生の中で一度はある忘れられない、心に深く刻まれる恋。
きっとそれが恒夫とジョゼの恋。

「別れて友達になれるタイプの女の子もいるけど、ジョゼは違う。
きっともう二度と会うことはない。」

かなしくて美しい恋の映画でした。

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