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涙が出る理由

涙はなぜ出るのだろう。

感情の起伏や副交感神経が刺激されると、涙腺でたくさんの涙が作られて溢れ出るのだとか・・
涙を我慢すると自律神経のバランスが崩れるとか、涙を流すと幸せホルモン「セロトニン」が分泌されるとか・・

『泣きたいときは泣けばいい』
と言われるのはそのためなのだろうか。

でも泣きたいときに泣くというのは、簡単なようですごく難しい気がする。


最近、少しの事で涙が出てくるようになってしまった。

日常生活が送れなくなるので我慢しているうちに泣きたくても泣けなくなった。

でも、何かのきっかけで蓋が開いた時に止まらなくなる。コップの水が溢れ出るみたいに・・
そう。私の心のコップはもう溢れる寸前、ギリギリなのだと思う。


今日は朝から人と話すことが出来なかった。世間話は乗れず、仕事の会話することが精一杯。
本当は仕事も休みたかった。ただ座っていることすら苦痛だった。

でも人員が少ない大変な時期に休めない・・

それでも仕事に行くとそれなりに仕事をこなす。
元々仕事が出来ない方ではない。だから自分の中では全く脳が働いていないと自覚しても、それなりの一般的な事はこなせてしまう。


心はこんなにボロボロなのに・・ただ泣かずに目の前の仕事をこなすことだけに全精力を使い、毎日を過ごす。私は何をしているのだろう・・


今日の午後、職場の廊下で他部署の人とすれ違った。何となく言われた優しい言葉に涙が溢れた。

そして不意に一言「消えたい」と口から出た。

恐らく、今までその人は、明るい私の側面しか見ていなかっただろう。
もちろん涙を見せたことも弱音を吐いたこともない。


その人はとても驚いた表情を見せたけど、自分の目に涙を浮かべながら・・
何も言わず、すぐに私の背中をさすってくれた。

どんどん涙が止まらない!やばい!仕事が出来なくなってしまう・・

そんな中、その人が言った。


「早く風邪が治るといいね」


久しぶりに感じた人の温もりが、私のコップを覆っている氷の蓋を溶かしたのかもしれない。
きっとその人の言葉や存在が、私の副交感神経を刺激したのだろう。

涙が止まらないまま、私はその人に抱きつきたくなったくらい嬉しかった。


今までの自分はもっと頑張れる人だと思っていた。

辛いときは過去の苦しかった事を思い出し『あの時よりはマシ』と言い聞かせ、大事マンブラザーズバンドの『それが大事』を聴き、『負けない、投げ出さない、逃げ出さない、信じる』と自分を無理矢理にでも前向きな気持ちにすることで、気が付くと笑顔が戻っている事が多かった。

でもそれはただごまかしているだけ。
自分の本質から逃げているだけ。
その何十年物蓄積が・・自分の身体を蝕み、もがけばもがくほど苦しい。


人の輪の中に入ることはどちらかというと得意分野で行動力もあった。
でも今は人の輪の中に入ることが本当に本当に苦しい。
出来れば誰とも話さず一人で居たい。
だから仕事以外のコミュニティーは可能な限り避けているのだけど、それでも輪に入らなければいけない状況がたくさんある。

人と関わると心の疲労感が半端なく、寝ても寝ても回復しない。そもそも夜も眠れず、毎晩悪夢ばかりみてしまう。

頑張りたいのに頑張れない、自分の弱さや傷ついた心がどんどんコップの水を満たしていき・・
誰かのふとした優しさに触れ時(それが相手の中で何気ないやりとりであったとしても・・)
また少し余裕が出来る。こうしてギリギリを保ってこれからも生きていくのだろうか・・


なぜこの文章を書いているのか、誰に向けて書いているのか、自分でもよく分からない。
でも・・私のように、普通に生きているように見えても本当にギリギリの状態を保って生きている人は世の中にたくさんいて。
今すぐ消えたい気持ちを抑えながら、泣きそうな気持ちを抑えながら心の中に涙をたくさん溜めて、その場にとどまることが精一杯の人がいて・・


そして私の背中をさすってくれたその人の目に浮かんだ涙は・・
きっとその人が過去に経験した辛さだったのではないか・・と感じた。

自分の苦しみを全て理解してくれる人には、もしかしたら一生出会わないかもしれない。
暗闇で孤独の渦中にいて、『絶対に光はある』なんて言い切れないけれど、でも・・でも

「心の涙を受け止めてくれる人はどこかに絶対いる!」

何かに悩んでいる人がいたら、声を大にして私は言いたい。


そして、誰かの涙を受け止められるような人にはまだまだなれそうもないけれど・・
地平線の彼方くらい、遠い未来かもしれないが・・いつか私もそんな人になれたらいいなと願う。

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