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音楽のことなど、興味のあることを書いたり、好きなものいっぱいのnoteにしたい。 詩…

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音楽のことなど、興味のあることを書いたり、好きなものいっぱいのnoteにしたい。 詩のようなもの→https://note.com/miyoshi_rainstar

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「はじまりはいつも雨」と私 〜雨は良いもの?悪いもの?〜

「はじまりはいつも雨」、この曲が生まれて30周年になるらしい。 残念ながら、私が生まれた時は既にこの曲が世に出た後だった。物心が着いた頃には一般的に有名な曲として知っていたので、初めて聴いた時の衝撃などは、リリース時に聴いた人に比べて薄いことは否めない。 ASKAさんが話されていた、短いCMとのタイアップをきっかけに一曲作り上げたというエピソードを聞くにつけても、リアルタイムでこの曲に出逢えた人達が羨ましくてたまらない。生まれる前からある名曲に出会う時ほど、早く生まれなかった

    • 嵐の中でも「僕のwonderful world」

      昨年、一年の目標に「笑って歩こうよ」を掲げていた。 達成できたかどうかはわからないが、昨年の今頃よりは比較的穏やかな気持ちで過ごせているように思う。 私はかつて、「笑って歩こうよ」における笑顔の意味を心の鎧であり、自己防衛のための仮面だと解釈していた。 今も同じ解釈を持ち続けている部分はあるが、もう少し肩肘を張らずに周りを見てもいいのではないかと思えてきた。 今までの私は、不安にならないことこそが不安だった。 明るい未来を思い浮かべても裏切られるかもしれない。どんな不幸が

      • 石を投げる人

        数日前、こんなツイートを見かけた。 松井五郎さんのツイートを見るといつも思う。やはり作詞家という職業をされている方は、美しく深く心に染み込む言葉を呟かれるなぁ、と。 それはいつも思うことだが、中でもこのツイートは深く心に刺さった。 それを見て思い出したのが、氷室京介氏がライブの際にASKAさんのことも絡めつつ話していた言葉。 「最近の日本では、石につまづいた人にさらに石を投げるような人が多い。メディアは面白がってそういう書き方をするんだろうけど…つまずいた人に手を差し

        • 「心の場所」を読んで(『書きおろし詩集』より)

          『ASKA書きおろし詩集』が好きで、時々拾い読みをしては色々と物思いに耽けることがある。 その中に「心の場所」という詩がある。こんな場面があった。 手相見に出会った主人公は、自分の手をみてもらうことにした。 そしてしばらく手のひらを眺めた後 「痛み」 と一言だけ言ってレンズを机に置いたのだ 「悲しみ」「喜び」などの感情ではなく、「痛み」。これはどういうことだろう。 そこに現実のASKAさんの心情を重ねるのならば──こちらの心に「痛み」を感じてしまう。 そもそも、手相と

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        「はじまりはいつも雨」と私 〜雨は良いもの?悪いもの?〜

          同じものが好きな仲間っていいな

          それをつくづく感じたのが、先のFellows限定生配信だった。 よく「好きなものより、嫌いなものや苦手なことが共通している人同士が上手くいく」なんて聞くけど、ポジティブな感情をもとに集まった人達の方が、きっとずっと良い。 私は今回のツアーには、悩んだ結果参加しなかった。 SNSのタイムラインに流れてくる、ライブに参加される方々のを羨ましく眺めていた。 それを見ながら感じられたのは、ASKAさんは希望のリレーをしているのだということだった。 希望の不足しきった場所へ希望を繋

          同じものが好きな仲間っていいな

          good bye and hello

          ASKAさんの曲には、目に見えている世界以外のものが描かれることが多いと思う。 「科学が正しいという迷信の風で育った」私がそんな曲に惹かれるのは、我ながら不思議なことだと思う。 「いろんな人が歌ってきたように」もそういった曲のひとつなのではないかと思った。 「good bye and hello」 この歌詞を聴きながら、なぜ「good bye or hello」ではないのだろうと考えた。 別れと出会いは相反するものだ。共にあるということはない。そう思っていた。 そこで不

          good bye and hello

          誰とも分け合わない

          「cry」という曲が大好きだ。 青春時代の瑞々しさと痛々しさ。誰もが経験したであろう眩い季節。 恋に悩むものの恋を捨てられない…「cry」の主人公は「SCENE」シリーズでセルフカバーされた、他の多くの女性主人公の曲とは異質だ。 別れに胸を痛めながらも、本心を隠して泣き寝入りするのではなく、同じ痛みを相手にも与え、心のままに泣く。男性と対等である等身大の女性像。 「SCENE」シリーズの女性達が昭和の女性の象徴なら、「cry」の主人公は現代的な女性の象徴なのかもしれない。

          誰とも分け合わない

          自己防衛としての「笑って歩こうよ」のすすめ

          あけましておめでとうございます。 ということで、 今年の目標に「笑って歩こうよ」を掲げてみた。 「毎日笑って楽しく過ごす」なんて到底無理。 「笑う門には福来る」にも疑心暗鬼。 でも「笑って歩こうよ」は胸に刺さった。 私が思う「笑って歩こうよ」は意地であり、「PRIDE」である。 それは他の人からすれば滑稽なことかもしれない。 痛々しいことかもしれない。 それでも、最終的に自分の心を守れるのは自分だけだし、自分の「PRIDE」を信じてやれるのも自分だけ。 楽しいこと

          自己防衛としての「笑って歩こうよ」のすすめ

          「cry」から感じる青春の痛み(Terminal Melodyを聴いて)

          「cry」ってエロくないですか? 「cry」を提供した黒田有紀さんとは「you&me」でデュエットもされている。 「you&me」大好きなんだけど、なぜこの曲が好きかと考えると、年上の彼氏が若い彼女に目線を合わせているような感覚を受けるからだ。 「Girl」のような大人の恋愛とは似ても似つかない、まるで恋愛をし始めた二人のような微笑ましさを感じる曲。 イメージ通り、調べたところ黒田さんとは14歳の差がある。 「これ絶対落としにかかってるだろ...」のような感想を見た記憶があ

          「cry」から感じる青春の痛み(Terminal Melodyを聴いて)

          「ひとりごと」後記〜田舎の空を見上げながら〜

          ちょっとだけ浮かれさせてください...。 「「都会の空」を見上げながら」というタイトルで書かせていただいたのだけど、これは精神的な意味合いのつもりで...。 騙してしまったような気もしないでもないので、白状してしまうと私が実際に住んでいるのは田舎です。 「都会の空」の主人公は、夢を追って田舎から都会へ出てきた、というイメージがあるけど、私の場合は逆。 と言うか、田舎でも都会というほどでもないところから、紛れもない田舎へ来たというか。 だから本当の意味で「都会の空」は知らない

          「ひとりごと」後記〜田舎の空を見上げながら〜

          「群れ」について。〜「Terminal Melody」を聴いて〜

          私は当時のことはよく知らないのだけれど、「群れ」は当初批判を浴びた面もあったらしい。 「群れ」=ファン、か。確かにそう受け取れなくもないか? 私は「SAY YES」「YAH YAH YAH」などの曲と初期の「ひとり咲き」などの曲とのギャップでCHAGE and ASKAに惹かれ、同じく「SAY YES」などの明るい曲と「安息の日々」のような生きることへの葛藤を描かれた曲とのギャップでASKAさんに惹かれた。(ギャップ萌えか...?) そう、「悩む人」としてのASKAさんに

          「群れ」について。〜「Terminal Melody」を聴いて〜

          あの日のこと

          フォロワーさんの記事を読んで気付いた。 そうか、「あの日」だったんだ、と。 C&Aファンになったばかりの頃、ちょうど再結成の話があった。 活動休止期間の間待ち続けていたファンの方がいる中で、ファンになりたての私がこんなワクワクした気持ちだけ味わって良いんだろうか?という申し訳なささえ感じていた。 しかし、それに続く報せはどんどん悪いものになっていった。 信じなかった。 けれど... 決定的な報せを聞いた「あの日」のあの時、私は台所で米を研いでいた。 ちょうど親が家にいな

          あの日のこと

          尾崎豊を父親だと思っていた

          今日は尾崎豊さんの命日ということで、彼について思うことを書いてみようと思う。 両親がファンであり、加えて尾崎さんが居なくなってからそれ程年月が経っていなかったので、私はその音楽に囲まれて育った。 物心が着いた頃には、「尾崎豊」という人のことを、そしてその人はもう既にこの世に居ないということを知っていた。 尾崎さんのイメージといえば。 白シャツに黒い革ジャン、ジーンズに革靴、黒い髪は半分オールバックで半分前髪が下りている。(ASKAさんや玉置さんも似た髪型だったと思う。)手

          尾崎豊を父親だと思っていた

          「Far Away」に見る平安女性の遺伝子

          CHAGE and ASKAの楽曲「Far Away」、それはすれ違う男女の物語。 この曲を聴く度に「わかるよ君子さん(仮)、ホントこの彼わからず屋だわ...」と愚痴のようなことを思う。 主人公ではなく、彼女に共感してしまうのだ。 「今がすべて」、「確かめすぎないで」。 先のことは先のこと、今が大事だと言う男と未来も愛が変わらないことを確認したい女。 これは世の常なのだろうか。 昔、保健の授業で「女子は好きな人と精神的な繋がりを重要視する人が多く、一方男子は...」みたい

          「Far Away」に見る平安女性の遺伝子

          神様の歌、ラブソングのようで違う歌...

          こちらの記事を拝見したことがきっかけで、次から次へと考えが湧き上がり、ここのところTwitterでも神がどうこうと続けて呟いてる。怪しげな人だと思われてるかもしれない。 以下もTwitterで呟こうとしてたことだけど、長くなりそうなのでこちらで書いてみた。 思いつくままなので、まとまりはない。 大いなる「君」=神?私自身、神様について考えることが少ないので、 ラブソングではなさそうな、大いなる「君」を歌っている曲を聴くと、神様というより音楽のことかな?と思う。 その一方、

          神様の歌、ラブソングのようで違う歌...

          「明け方の君」を聴いていて、『めぞん一刻』を思い出した話。

          なんだこのタイトルは... 曲の解釈を考える上で楽しいのは、「これは表側はこういう意味だろうけど、裏の意味もあるんじゃないか?」、「こういう解釈をしてたけど、こういう捉え方もできるのでは?」など何パターンも想像することだ。 絶対こういう設定に違いない!というものはなく、故にいろんな人の曲の解釈を見聞きするのが好きだ。 そういう訳で、こういう解釈もできるのでは?ということを『めぞん一刻』を引き合いに考えてみた。 (自分が好きなもの同士を関係ないのに絡めて考える癖があります

          「明け方の君」を聴いていて、『めぞん一刻』を思い出した話。