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尾崎豊を父親だと思っていた

今日は尾崎豊さんの命日ということで、彼について思うことを書いてみようと思う。

両親がファンであり、加えて尾崎さんが居なくなってからそれ程年月が経っていなかったので、私はその音楽に囲まれて育った。
物心が着いた頃には、「尾崎豊」という人のことを、そしてその人はもう既にこの世に居ないということを知っていた。

尾崎さんのイメージといえば。
白シャツに黒い革ジャン、ジーンズに革靴、黒い髪は半分オールバックで半分前髪が下りている。(ASKAさんや玉置さんも似た髪型だったと思う。)手にはギター。
若き日の父がほぼこれに似た感じだった。
だから未だに若い父の姿を思い出す時、尾崎さんをセットで思い浮かべる。

長じるにつれ、父に対する内面的な反抗心が出て来た。外に出したところで、決して分かり合えないことは知っている。表に出せないからこそ、その感情は根が深いものだった。
父が好きなものも意味なく嫌悪するようになった。それには尾崎さんのことも含まれていた。

父との心の距離はそのままになってしまったが、尾崎さんのことは好きになった。
尾崎さんを思う時、昔から知っている懐かしい人、憧れる人・・・本来父親に対して抱くイメージを持っていた。

だからこそ、尾崎さんの年齢を超えるときは複雑だった。
憧れる人より年上になるとはどういうことなのだろう。そういう人は自分よりずっと先に歳を取っていく人ばかりだったから、こういう時どういう感情を持つべきなのかわからなかった。

一ファンでもこうなのだから、息子さんである尾崎裕哉さんはどれほど様々な感情を巡らせただろうか。アフター尾崎世代として勝手に仲間意識を感じているのだが、やはりそれは比べるべくもないことだろうと思う。

実際に、尾崎裕哉さんの楽曲で「27」という作品がある。
「27」、それは尾崎豊さんの年齢を超えた時の年齢だ。


私も尾崎さんの年齢を超えてしまった。
この先、尾崎さんとの年齢の差は、どんどん開いていくだろう。

それでも、ずっと尾崎さんを見上げていたい。尾崎さんを想う時、尊敬の気持ちでいたい。
「オザキ!」と呼ぶファンが多い中、頑なに「さん」付けをしているのは、これが理由でもある。

尾崎豊さん、あなたはこの先ずっと私の永遠の故郷であり憧れです。

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