神様の歌、ラブソングのようで違う歌...
こちらの記事を拝見したことがきっかけで、次から次へと考えが湧き上がり、ここのところTwitterでも神がどうこうと続けて呟いてる。怪しげな人だと思われてるかもしれない。
以下もTwitterで呟こうとしてたことだけど、長くなりそうなのでこちらで書いてみた。
思いつくままなので、まとまりはない。
大いなる「君」=神?
私自身、神様について考えることが少ないので、
ラブソングではなさそうな、大いなる「君」を歌っている曲を聴くと、神様というより音楽のことかな?と思う。
その一方、「君が愛を語れ」を聴いていると「やっぱり歌じゃなくて」とあるから、愛のことかな?とも思う。
ASKAさんの『書きおろし詩集』に収録されている「いろんな人が歌ってきたように」に
何を語って来たかと問われれた時
僕は
愛を歌ってきたと答えた
とあることからも、そう思う。
音楽も愛も、それら全てをひっくるめて「神」と言い表せる気もする。
真っ先に音楽のことだと思うのは、私自身が音楽があるから今まで生きてこられたっていう思いがあるからだと思う。
人によってそれぞれ、そんな風に思う対象があるだろう。
それがその人の「神」と言えるかもしれない。
「君が愛を語れ」の「君」は、リスナーに対してなのかと思ってたが、他の捉え方もできるのではとずっと思ってた。
上で挙げた「君」=愛という解釈は、「愛が愛を語れ」というフレーズがあるから、やはり違うかもしれない。
となると、この「君」こそ、ダイレクトに神のことなのではないか。
「PLEASE」の「あなたのミステイク」というフレーズは、「僕達が頑張っていても優しさを失くすことがあるなら、神様、あなたにも責任がある。だからあなたも僕達のために働きかけてくれ。」という解釈をしている。
それと同じように、「神よ、あなたが愛を語って、人々にそれを教えてあげてくれ」という、神に対するお願いというか、依頼をしているのではないか。
崇める対象というだけではない、どこか近い立ち位置に存在するものとしての「神」の描き方は、日本人らしい考え方だと言えるのかもしれない。
ラブソングかと思いきや...?
話は変わる。
表向きはラブソングだけど、よく聴くと違う解釈ができたり、ダブルミーニングになっていたりする曲というものに惹かれる。
こちらのツイートを拝見して、「いつまでも変わらぬ愛を」も確かにそうだなぁと思った。
コブクロがカバーしていたバージョンを聴き、この曲を知った。夏らしい爽やかなアレンジで好きだった。
当時、好きな曲はとりあえず調べてみる癖があったので、こちらの曲についても調べた。ラブソングだとしか思っていなかったので、かなりショックを受けた記憶がある。
今はこの曲を聴くと、「君に対する愛情を悲しい記憶で曇らせたくない」、そんな切実な思いを感じる。
私もこのような曲をひとつ思い出した。
浜田省吾さんの「君と歩いた道」だ。
この曲は『MY FIRST LOVE』というアルバムに収録されている。「MY FIRST LOVE」、訳すと「初恋」である。
初恋の相手は誰か。
それはロックミュージックである。
実際、「初恋」という曲があり、そこには彼が影響を受けてきたロックミュージシャンの名前が並んでいる。
こちらの「君と歩いた道」は、表向きはラブソングである。
しかし、この「君」には別の解釈もできる。
冒頭に
もし15才のあの夏に戻ってそこからもう一度
やり直せたら どんな人生 送るだろう?
という歌詞がある。
彼にとって15歳といえば、「明日なき疾走」が思い出される。
15の時通りのウィンドウに飾ってあったギターを見た時
とロックミュージックに目覚めた年齢である。
それを踏まえると、「君」=ロックミュージックという捉え方もできる。
もし15才のあの夏に戻ってそこからもう一度
やり直せても この人生を選ぶだろう
君と歩いた道をもう一度 歩くだろう
人生をやり直したとしても、もう一度ロックミュージックと出会いたい。そして生涯を通して愛し、歌っていきたい──。
この曲はロックミュージックに対するラブソングなのだ。
(歌詞の考察について、こちらの記事を一部参考にさせていただきました。)
先程、私が「君」=音楽と解釈することが多いと書いたが、それにはこの曲が影響しているかもしれない。
以上です。
長くなってしまった...。
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