文字を持たなかった昭和316 スイカ栽培(25)スイカ磨き
昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。
このところは昭和40年代初に始めたスイカ栽培について述べてきた。苗を植え、受粉させ、大きくしたい実以外は摘み取り、実が色よく均一に大きくなるよう向きを調整してやるなど、手塩にかけて収穫にこぎつける。収穫のときは実を軽く叩いて、その音で熟れ具合や実の状態を確認した。
収穫後のスイカは直接農協の選果場に行かずいったん家に運ばれる。もうひと手間かけて商品価値を少しでも高めるためだ。
運んできたスイカは、耕運機の荷台から納屋の床や縁側に敷いた筵の上に並べられる。並べるのは二夫(つぎお。父)や、手伝いをお願いした男の人たち。ミヨ子や子供たちは、スイカをひとつずつ膝に乗せて「ツラ*」(顔。ここでは表皮)をきれいにしてやる。
スイカの皮は汚れていたり、頻繁ではないにせよ使った農薬が付いていることがあり、なんとなく表面が雲っていて、スイカ特有の縞模様がいまひとつくっきり出ていない。それを、古い手拭いや着古した綿シャツなどで「磨いて」やるのだ。
表皮を磨くことで艶が出て、縞模様もはっきり現れる。ただあまり力を入れると皮を痛めてしまう。やさしく撫でるように気をつけながら。
抱えて、と書いたが、特大サイズに育った実は抱えきれないので、筵の上に置いたまま磨いた。そうやって、納屋や縁側から部屋の畳の上まで転がるスイカが光り輝く姿は、二三四(わたし)たち子供にとっても誇らしいものだった。これが「山大」のスイカとして大都市で売り買いされるのだと思うと、いっそうワクワクした。
もうかなり腰が曲がって屋敷周りの畑仕事くらいしか出なくなっているハル(祖母)も、この作業には加わり、孫たちとおしゃべりしながらスイカを磨いた。こうして、家族総出で磨いたスイカはもういちど耕運機に積まれ、農協の選果場へ運ばれるのだった。
*鹿児島弁の例:スカんツラをみごつぬぐてやらんとねー。(スイカの顔をきれいに拭いてあげないとね)
《「スイカ栽培」項の主な参考》
スイカの栽培方法・育て方のコツ | やまむファーム (ymmfarm.com)
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