文字を持たなかった昭和311 スイカ栽培(20)玉直し

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 ほかの話題で中断したが、このところは昭和40年代初に始めたスイカ栽培について述べている。苗を植え伸びてきた蔓を整え受粉させ大きくしたい実以外は摘み取ってしまう

 そうやって1本の蔓に1個見当の実を残したら、その出来をいかにしてよくするか。そこで「玉直し」という(らしい)作業が加わる。解説によると玉直しとは、スイカの実の地面に接している部分には日が当たらず、色がまだらになってしまうことがあるので、色むらを防ぎ実の形をよくするために行う作業だ。

 二三四(わたし)はスイカ栽培についてnoteに綴るに当たって、インターネットでこの「玉直し」ということばを初めて知った。ミヨ子や二夫(つぎお。父)など、当時地域でスイカを植えていた農家が「玉直し」ということばを使っていたのかどうかはわからない。農作業について語る家での会話でも聞いたような気はしない。

 ただ、作業そのものについてははっきり覚えている。

 玉直しのタイミングについて、解説には「実がソフトボール大くらいになったら」とあるが、ミヨ子たちはもう少し大きく――小さな子が遊ぶゴムまりくらいに――なってから、スイカの実を動かしていたように思う。

 玉直しの頃は実もけっこう重くなっているので、作業は楽ではなかった。実の状態や皮の色を見ながら、色の薄い側が上になるようそっと回してやる。動かし方が雑だと、せっかく残した実が生り口から取れてしまったり、生り口を傷つけてしまったりする。

 だから、この作業もなかなか子供には手伝わせてもらえなかった。

 早めに畑に着いた二夫は、玉直しが必要な実が生っている箇所に目印をして回る。家事を終えて畑に着いたミヨ子は、目印の実を回していく。もちろん、二夫も折り返し玉直しに取り掛かる。休みの日、畑まで来た子供たちは両親について回りながら、やっていいと言われた実だけそっと動かすのだった。

 この頃には、南国鹿児島に早々に訪れていた梅雨は明けていた。本格的な夏の日差しをトンネルのビニールシート越しに受け、スイカもぐんぐん大きくなっていった。

《「スイカ栽培」項の主な参考》
スイカの栽培方法・育て方のコツ | やまむファーム (ymmfarm.com)  

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