文字を持たなかった昭和309 スイカ栽培(18)摘果①

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 このところは、昭和40年代初に始めたスイカ栽培について述べている。苗を植え伸びてきた蔓を整え人工受粉させ小さい実がついたら追肥」する。

 実が大きくなってきたら摘果である。

 摘果は、無駄な蔓を芯から摘んでしまう摘芯や整枝同様、大きくしたい対象の実に養分を集中させるための作業だ。スイカ畑にたくさんできた小さな実が、それぞれだんだん大きくなってきた頃になると、二夫(つぎお。父)の口から「テッカ」という単語がしばしば発せられるようになる。

 どう書くのかは定かでなくても、週末は必ずと言っていいほど田畑の手伝いをしていた二三四(わたし)には、どういう作業なのか、その目的が何かはほぼ理解していた。

 インターネット上の解説によれば、スイカの実は1本の蔓に2個残しておき、ソフトボール大になった頃、形のいい実を残してもう1個を摘んでしまう、とある。

 二夫やミヨ子、そして同じ頃に地域でスイカを作っていた農家の人たちも、同じように摘果していたのかはわからない。二三四は、二つの実のひとつを残すという話を聞いた記憶がないからだ。1本の蔓にはもっとたくさんの実が成っていたような気がする。

 もちろんそれは、子どもの眼に残ったたんなる印象かもしれない。なぜなら摘果作業を子供たちが手伝うことはなかったから。摘芯や整枝あたりから具体的な作業を子供に任すことはなくなり、天気に合わせてトンネルのビニールシートを開け閉めするのが子供たちの仕事の中心になった。

《「スイカ栽培」項の主な参考》
スイカの栽培方法・育て方のコツ | やまむファーム (ymmfarm.com)

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