文字を持たなかった昭和 百七十八(お仏壇のある生活)

 秋のお彼岸も終わったが、お彼岸つながりで書いてきたお仏壇の話題(「お彼岸に寄せて――お仏壇」「同、続き」)をもう少し。

 縷々述べてきたように、お仏壇というかご先祖の居場所がある生活は、母ミヨ子が生まれ育ち、結婚し子育てしていた鹿児島の農村ではしごく当たり前のことだった。当然乍ら、子供(わたし)たちもそれを自然なこととして育った。

 家の規模の大小はあっても、お仏壇はどの家も奥座敷、だが玄関の上がり框(あがりがまち)から見えるところにあった。

 地域の人びとどうしの往来が盛んで、出入り口に鍵をかける習慣もなかった時代――というより、引き戸は木製で内側からつっかい棒で戸締りすることはあっても、外から錠を付ける発想も習慣もなかった――、人びとは用事のあるなしにかかわらず、互いの家を気軽に訪問した。そもそも電話が普及する前は、直接会う、出向くしか、連絡の方法はなかったのだ。

 先方のお宅に着いたら、正式な用件のときはご挨拶の前にまず座敷に上がってお仏壇を拝む。先方のご先祖に敬意を表し無事に辿りつけたことに感謝する。お燈明まで灯すかどうかは用件や先方との関係に依ったが、久しぶりの訪問などのときは必ずお燈明を点しお線香を上げさせてもらった。この場合のお線香は持参するのではなく、もちろん先方のお宅のお仏壇に備えてあるものを拝借する。

 それからおもむろに客間に戻り、座布団の用意やお茶の支度がされた座卓に就いて、ひとしきりご挨拶や世間話をしてから、用件を切り出す、という流れだった。

 仏壇のお燈明をすぐ消すかどうかはそれぞれのお宅の習慣があるので、点けたままにしておき、あるじに確認してから消しにいく場合もあったし、消す習慣があると知っているお宅なら
「お燈明は消しましたけど(よかったですよね)」
と断ってから会話に入った。

 これらは、座敷に上がっての訪問の場合。

 立ち話ですむくらいの簡単な用事――回覧板を持ってきた、地域の寄り合いの伝達、ちょっとした伝言などなど――の場合は、玄関の上がり框のところから立ったままでお仏壇に向かって手を合わせて一礼するのが礼儀だった。

 つまり、お仏壇――ご先祖と言い換えてもいい――は自分の家もよその家も同じように敬い、身近に感じるものだったのだ。

 よその家のお仏壇を拝むと、作りや豪華さ、ひらたく言うとお金がかかっているかそうでもないかや、ふだんの手入れ、どんなものをお供えしているか、何よりお仏壇大事にしているかあるいはそうでもないかが子供にもわかって、興味深かった。

 農村でも主婦たちがパートに出るようになり、昼間不在の家がほとんどになった今、事前の「アポイント」なしによそのお宅に出向く人は皆無に近づき、玄関先からでもお仏壇を拝む習慣も希薄になっていることだろう。

 時代の流れと言えばそれまでだが、身近にご先祖様を感じることは、自分がしっかり立っていくためにも大切なことだと思うが、こんなことは昭和の繰り言かもしれない。


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