文字を持たなかった昭和495 酷使してきた体(8)心配で眠れない

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 しばらくはミヨ子の病歴や体調の変化などについて記していくことにして、もともとあまり丈夫でなかったこと、体にあった病気などの痕跡(下肢静脈瘤工場で機械に指を挟み指先が少し欠けた妊娠中の盲腸切除の痕)、そして遺伝を懸念した目心臓の病気などについて述べた。

 遺伝を懸念していた様子によく表れているように、ミヨ子は心配性だった。娘の二三四(わたし)から見れば「そんなことまで考えてたら、生きていけないよ」と言いたくなるようなこともしばしばあった。

 交通事故のニュースが流れたあと「車に気をつけなさい」と言うぐらいならともかく、まれに飛行機事故などあった日には、社会人になり仕事で海外と往来するようになった二三四に「飛行機に乗るのはもうやめなさい」などと言うのである。しまいに二三四は
「お母さんの言うとおりにしてたら、家の中でじっとしているしかないよね! でも家にトラックが飛び込んできたり、飛行機が落ちてきたりするかもしれないよ!」
と反論(?)する羽目になるのだった。

 寝ていても、ふと目が覚めて考えごとを始めると眠れなくなるらしい。
「あのことはどうなるかしら、と思うと眠れなくてね」
というのがミヨ子の口癖でもあった。二三四から見れば、考えてもどうにもならないことをあれこれ考え、想像を超えて妄想を膨らます傾向がミヨ子にはあるように思えた。

 振り返ってみると、その習慣というか性癖は確実に身体に影響を及ぼしたと思われる。ひとつは、のちにがんを患ったこと。がんの罹患やがん細胞の増殖は、メンタルが及ぼす免疫力との関係が深いと言われる。その意味では、心配癖とそこからくる不眠は体にとってよいはずがなかった。

 もうひとつは、認知機能への影響である。近年の研究によれば、アルツハイマー型認知症はアミロイドβ(ベータ)というたんぱく質が脳に溜まり脳の機能が阻害されて起きる、と考えられている(ものすごくざっくり書いた)。アミロイドβは健康な脳にも存在するが、睡眠によって脳外に「流され」、溜まりにくくなるらしい。つまり、十分で良質な睡眠は、認知機能低下、少なくともアルツハイマー型認知症の予防には有効だと言うのである。

 その視点で考えれば、心配ごとがあると眠れないという習慣はアミロイドβの沈着を招きやすい状況だったと言ってよさそうだ。ミヨ子自身はどうかと言えば、5、6年前から始まった認知機能の低下はだんだんと加速し、93歳になったいまはかなり進んでいると言っていい。

 もちろん、体や脳に影響を及ぼすのは睡眠だけではない。まして80年、90年と生きていれば、複合的な要因があるだろう。ただ、働き盛りの頃のミヨ子を二三四が振り返ってみるとき、「心配性で不眠がち」という生活が脳を含む身体に及ぼした影響は小さくないだろうと、どうしても思えるのだった。

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