文字を持たなかった昭和491 酷使してきた体(3)下肢静脈瘤

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 これからしばらくはミヨ子の病歴や体調の変化などについて記していくことにして、もともとあまり丈夫でなかったことや、農家の嫁としては多少の不調はがまんせざるを得ない背景があったことを述べた。

 働き盛りの頃の無理もあってか、老年期に入ってからのミヨ子が大きな病気をいくつかしたことは追いおい綴るとして、まずミヨ子の体に残っていた病気などの痕跡について記しておきたい。

 母親の体について娘の二三四(わたし)が子供だった頃から強く印象に残っていることが三つある。それらは子供の目にもはっきりわかるくらいのものだった。

 ひとつめは、ミヨ子のたしか右足の内側のくるぶしに、静脈の血管がでこぼこに浮き出ていたことだ。それを「下肢静脈瘤」と呼ぶとは、二三四が大人になってから何かのきっかけで知ったもので、子供だった二三四のはもちろんミヨ子自身もなんと呼ぶのか知らないようだった。

 下肢静脈瘤は、長時間の立ち仕事などによって、本来心臓へ血液を押し戻す静脈の、逆流を防ぐための弁が十分機能しなくなることにより、血液が溜まった血管が瘤状に膨らんだ状態だ。もちろん短期間ではそうならず、長期にわたって同じような姿勢でいることによって固定されていく。

 ミヨ子のそれは、ぶくぶくに膨らんだ血管が一か所に集まって直径5センチほどにもなっていたから、素足のときはものすごく目立った。家にいるときや近所を出歩くときはしかたないとして、授業参観などで学校へ行くときはもちろん、婦人会のちょっとした集まりのときも、足首まである短めの靴下を履くのだった。

 それは恥ずかしいというより「ほかの人が気持ち悪がるから」という一種の気遣いからだった。ミヨ子の静脈瘤はそれほど目立ったのだ。

 母親の足にできている、ぶよぶよ、ぶくぶくした「なにか」に初めて気づいたとき、二三四は訊いた。
「母ちゃんの足は、なんでこうなってるの」
佐賀の紡績にいた頃、一日中立って仕事してたからね」
ミヨ子はそう答えた。

 そうなのか、と二三四は思ったが、ミヨ子以外のお母さんやおばさんでこんな足をしている人は、それまでもそれからも見たことがなかった。ごくまれにふくらはぎや足首の血管が膨らんでいるおばさんを見かけることはあったが、ミヨ子のほどひどくはなかった。だから「母ちゃんは若いころ苦労したのかな」と考えたりした。

 実際紡績工場では立ちっぱなしでの長時間労働だったのだろう。もっとも、ほかのお母さんやおばさんにも大きな静脈瘤がある人がいたかもしれない。農村の女性は常に長時間労働で、重いものも持ったし、まだ電化されていない家事も全てやらなければならなかったのだから。

 二三四がミヨ子の足の「ぶくぶくした部分」をこわごわ触ると、柔らかいような硬いような不思議な感触だった。「それは血管らしいよ……血が通ってるってこと」と言われると、青い血管がとぐろを巻いた様子を想像してちょっと怖かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?