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文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話9 何十年ぶりかの母の日、余談

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 このところは、先日帰省した際のミヨ子さんの様子をメモ代わりに書いている。前々項前項では、何十年ぶりかで母の日を一緒に過ごしたことを述べた。「母の日なんてやったことがない」と言われてがっかりしたことも。

 前項で触れたとおり、ミヨ子さんの末の妹で屋久島に住んでいるすみちゃんは、毎年の母の日にお花を送ってくれる。5人きょうだいのいちばん上といちばん下の二人は20歳離れていて、早くにお嫁に行ったすみちゃんにとって、同じ嫁の立場としての相談相手はミヨ子さんだったことなどから、「姉ちゃんはわたしのお母さんみたいなもの」ということらしい。。

 今年も、濃い目のピンクに白の差し色が入ったようなカーネーションの鉢が、居間の座卓にでんと据えられていた。

 そのカーネーションをミヨ子さんはしょっちゅう見やっては「きれいな花だねぇ」と言う。わたしは「きれいだね。屋久島のすみちゃんが送ってくれたんでしょ、よかったね」と答える。するとミヨ子さんは「あら、そうなの?」と、初めて聞くかのように返す。それが毎回だ。1週間弱の滞在の間に、この会話を何回繰り返しただろう。すみちゃんには申し訳なくて伝えられない。

 ミヨ子さんはしかし、花は気に入っている。そしてときどき鉢の土に触れてみては「ちょっと乾いてるんじゃないかしらね。水をあげたほうがいいと思うけど」とか、「あの大きな花のすぐ脇のは、ちょっと萎んでるんじゃない? もう摘んだほうがよさそう」などとかなり細かい「指示」を出す。

 じつは、送られてきた花の手入れは、お嫁さん(義姉)がやってくれている。萎れた花は適宜摘んでいるし、水やりのタイミングも心得ている。「あまり水をやりすぎると根が腐るから」とも言っていた。ときどき日に当ててくれてもいる。だからわたしは、ミヨ子さんが「指示」しても手を出さない。あまりに指示が続いたときは「お義姉さんがやってくれてるから、わたしは遠慮するね」と答えざるを得なかったのだが、あれでよかったのか。

 その日の晩ご飯どき。お嫁さんは「母の日だからって特別なことはしないから」と断りつつ、ミヨ子さんにはプリンをつけてくれた。

 食後おいしそうにプリンを食べるミヨ子さんに、息子(兄)のカズアキさんが「母の日だから特別につけてくれたんだよ」と説明する。ミヨ子さんは
「母の日なんて…いままでやったことないわねぇ」。

 カズアキさんは色を成して「毎年嫁さんがごちそうを作ってくれてるだろ!」と怒る。ミヨ子さんは「そうかねぇ」と、心はここにない風情だ。「しかたないよ、何もかも忘れてるんだもの」とわたし。

 後日お嫁さんに「お母さんが『母の日はやったことない』なんて言ってて、申し訳ない」と娘として謝ると「あぁ、そう言ってたね。気にしてないよ」と返してくれたが、本心はどうなのか。あるいは、ふつうの精神反応を期待できない人の言動に、いちいち反応していたら心身がもたない、という悟りをすでに得ているのか。いずれにしても、わたしにはできそうもない。

 何十年ぶりかの母の日。なかなかに中身の濃い一日だった。

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