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文字を持たなかった昭和 続・帰省余話20~反省、そして屋敷跡

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 今度は先だっての帰省の際のあれこれをテーマとすることにして、印象に残ったことのまとめやエピソードに続き、ミヨ子さんを連れてのお出かけを順に振り返っている。桜島を臨むホテルに泊まり温泉を引いた大浴場で入浴離島住まいのミヨ子さんのいちばん下の妹・すみちゃんも交えてディナーを楽しんだ。

 翌日、島へ戻るすみちゃんとお別れしたあと、実家近くの古いお墓へお参りに行ったのだが、ミヨ子さんの脚が動かなくなり、結局二三四(わたし)だけがお墓参りをした。

 あとになって思えば、ミヨ子さんの負担を減らすためとは言え、ふだん乗らない車椅子に座らせっぱなしの状態で、歩く機能が一気に衰えたのかもしれない。車椅子や車から下りて歩き始めるまえに少し「脚ならし」をすればずいぶん違う、ということを、二三四はあとで義姉から聞かされて知った。

 そもそも、ホテルではミヨ子さんを車椅子に乗せるという発想自体、スケジュールの円滑な進行ありきではなかったか。長い廊下などは車椅子で、室内では杖と歩行で、という切り分けをすべきだったのかもしれない。

 いずれもあとから反省とともに考えたことではあるが。

 お墓参りを終えて二三四が車に戻ると、ミヨ子さんは疲れた様子でシートに体を預けていた。してもらえることが、だんだんと減っていく――。親孝行のためのお出かけのはずなのに、二三四の心中は複雑だ。

 お墓参りのあとは、すぐ近く――歩けば数分――の実家跡に立ち寄る。ここでは、長男の和明さん(兄)が家庭菜園を営んでいるのだ。屋敷があったところや畑を見れば、ミヨ子さんも落ち着くだろう。

 敷地に車を乗り入れると、ちょうど和明さんが野菜の手入れをしていた。
「やぶ蚊が多いから、畑には近づかないほうがいいぞ」
と言いながら、収穫物を入れるコンテナーをの椅子代わりにミヨ子さんに勧めてくれる。長年見慣れた風景の中にいて、ミヨ子さんもうれしそうだ。
「やっぱりここがいちばん」
と思っているかのよう――。

 でも、お母さん。ここに住み続けることはできなかったし、もう戻って来られないんだよ。二三四は切ない気持ちを呑み込んだ。

※前回の帰省については「帰省余話」127

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