文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話15 ご近所
(前項「短いお散歩」より続く)
94歳(ほんとうは95歳)で、脚力がだいぶ落ちているミヨ子さんの歩みはゆっくりだ。会うたびに狭くなっていく歩幅で、少しずつ前に進む。十秒が一分ぐらいの感じだろうか。それでいて、いやそれだからか、周りの景色にはよく目が行く。
背丈もだいぶ縮んだうえ背中が曲がっているミヨ子さんは、140センチほどの体で隣の家を見上げて
「ここは何年か前に建て替えたんだよ。奥さんは亡くなったけど、遠くに住んでいた娘さんが帰ってきて住んでる」と、事実不詳なことを言う。わたしは、きっとミヨ子さんの思い違いだろうと思いながら、ていねいに相槌を打つ。こういうとき、まじめに向き合ってあげるべきなのだ(と思う)。
次の家の前では「ここの家には大きな犬がいてね。よく吠えてたよ。何年か前に死んじゃったけど」。ほんとうかな? でも「そうなの、かわいそうね」と返事をする。
さらに「そうそう、ここ、ここ。散歩してるときにここの溝に落ちちゃって」。団地の側溝は、編み目状の蓋が掛かっているところと、蓋がなく剥き出しのところがある。側溝の幅は20数センチだが、小さいおばあさんが嵌まってしまうには十分かもしれない。
「そのときは近所の人が気づいて助けてくれたのよ」
「そう、よかったね。溝に蓋がないところがあちこちあって危ないもんねぇ」
ふと、ミヨ子さんが立ち止まる。「セイセイなった。どっかなんかかろごちゃ(息切れがしてきた。どこかに凭れたい)*」。まだ10メートルぐらいしか歩いていない。
「お母さん、あそこの陰までがんばろうか。塀があるから凭れられるよ」。わたしは2メートルぐらい先の木陰を指した。もうちょっとだけ、がんばって。
目標の木陰にゆっくりとたどり着く。「お母さん、ここに凭れて」とブロック塀を示す。すぐに凭れかかるかと思いきや、ミヨ子さんは「汚れてるんじゃない?」と、塀の黒い汚れみたいなものを気にしている。それは汚れではなくコケが乾いてくっついているもののようだ。わたしは指で擦って見せて「コケだよ。ほら、汚れじゃないし服にも着かないよ」と説明する。
ミヨ子さんの几帳面な性格がまたしても表に現れ、いまひとつ納得がいかない表情だが、休みたい気持ちのほうが勝ったようだ。塀に凭れると、さすがにほっとした様子を見せた。
空は青い。ちょっと暑いが、風はある。周囲は新旧の戸建てばかりだ。もう30年くらい前に、お茶畑だった丘陵を造成してこの団地ができ、ミヨ子さんの息子(兄)家族は小さな土地を買い2階建ての家を持った。
当時、鹿児島の県立高校の普通科は学区制で、鹿児島市内の普通科(進学校と言っていいだろう)へは、鹿児島市と周辺のいくつかの町に在住する生徒しか受験資格がなかった。子供たちがいずれ迎える高校受験を考えた兄夫婦は、土地が高い鹿児島市内を避けて、「周辺」のこの町の、新しい団地に家を建てたのだ。
農家で、二人の子供たちに譲る土地は有り余るほどあったミヨ子さん夫婦、というより夫の二夫さん(父)は、「こっちに土地はたくさんあるのに、わざわざ買って」とひどく機嫌が悪かった。新築の家に何回かは行ったが、「遠い」「寒い」と難癖をつけて、あまり足を運ばなかった。山がちで霧がよく出て、そのためにお茶どころでもあるこの一帯は、じっさい夜はけっこう冷えるのだ。ミヨ子さんは、夫と息子夫婦の板挟みでつらい思いもしただろう。
その曰くつきの家で、ミヨ子さんが晩年を過ごすことになろうとは。娘のわたしは複雑な気持ちで、兄たちががんばってローンを払い続けた家を見やる。(次項「わが家」へ続く)
*鹿児島弁。「なんかかる」は寄りかかる、凭れるという意味。「馴れ掛かる」の転訛らしい。
《参考》
【公式】鹿児島弁ネット辞典(鹿児島弁辞典)>なんかかい(なんかかっ、なんかかる)
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