文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話14 短いお散歩

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。このところは、先日帰省した際のミヨ子さんの様子をメモ代わりに書いている。

 前項では、週4回のデイサービス(とたまの病院)以外外出することはなくなったミヨ子さんが、居間の窓から外を眺め「たまには、外をぶらぶらしてみたいねぇ」と(鹿児島弁で)呟いたことについて書いた。それを受けてわたしが、デイサービスが休みの日に家の前をお散歩しようと提案したことも。

 その日は帰省の実質最終日だった。終日冷たい雨が降り続いた前日と打って変わって、朝から日差しが降り注ぎ、夏日が予想された。日中は再びミヨ子さんと二人で過ごし、お昼も共にする予定になっている。昼ご飯のあと、ミヨ子さんは昼寝してしまうかもしれない。

 「散歩するなら早めにしないと」。わたしは心の中で時間割を組んだ。 それでも9時を回っただろうか。「お母さん、ちょっと外を歩いてみようか」と声をかける。

「え? 外に?」と意外そうな反応。
「一昨日、散歩する約束したでしょ?」と返してから、しまった、と思う。ミヨ子さんはほぼ100%忘れているのだから。というより、記憶というものが形成されないし、されたとしても収まるべきところに収まっていないのだと思う。それをわかっていたはずなのに、つい「責める」ような言い方をしてしまったことを反省する。

 しかしミヨ子さんはすんなりついて来た。玄関まで行くのも、上がり框で靴を履く(履かせる)のも一苦労だが、玄関先の3段ほどの階段はもっと気を使う。ミヨ子さんの右手には杖、左手はわたしの腕に掴まってもらう。ゆっくり、ゆっくり……。

 南国の初夏の日差しは強烈だ。「んだ、ぬっかねぇ(まあ、暑いこと)」とミヨ子さんが言う。日傘を持って来なかったことを一瞬悔いたが、日傘を差したままで半ばミヨ子さんを抱えながら歩くのは難しいだろう、と諦める。

 もとはお茶畑だった丘陵を整地したこの団地は、極端にいえば戸建ての家々が立ち並ぶだけで、それ以上でも以下でもない。車道と歩道の区別のない道路は、ちょっと行くと上ったり下ったりする。平日昼間でも意外と車が通る。お年寄りや子供連れはヒヤッとするだろう。道の端を歩きながら車の往来にはかなり神経を尖らす。(次項「ご近所」へ続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?