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文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話16 わが家

(前項「ご近所」より続く)
 ミヨ子さん(母)との散歩の途中、木陰での休憩。目の前にはいま通り過ぎたばかりの家々――と言っても3軒ほどだが――が並ぶ。
「この家は、もとはこんな色じゃなかったんだけどね」とミヨ子さん。わたしは再び、本当かな、と思いつつも「へえ、前はどんな色だったの?」と会話を繋げる。ふと、聞きたくなった。

「お母さん、わがえはどい?」(わが家はどれ?)。もちろん、ミヨ子さんにとっての「わが家」という意味で尋ねたのだ。ミヨ子さんは顔を巡らせて、
「わがえは、あい」(わが家は、あれ)と、いま住んでいる息子(兄)の家を正確に指さした。

 その答えは、正しい。もう10年ほども息子家族と同居し、ここからデイサービスや病院に行って帰るのだから。1年365日のほぼすべてを、ここで眠り、ここでご飯を食べて過ごすのだから。

 でもわたしは、「わがえはあいじゃっどん、ほんのこちゃ、〇〇」(わが家はあれだけど、ほんとうは〇〇)と、郷里の町か地域、あるいは集落の名前をつけ加えてほしかった。もちろんそれは娘の感傷に過ぎず、ミヨ子さんは「そう聞かれたからそう答えた」だけかもしれないし、関連するほかの認識が瞬時には浮かばなかったのかもしれない。それでも、母親にとっての「わが家」はついにここになったのか、と思い、インパクトの大きいやり取りではあった。

 わたしたちは木陰で5分ほども休んでから、もう一度前方を目指した。しばらく行くと、その先は緩やかな登り坂になる。「前のほうは坂だから、引き返そうか」と促し、わたしたちは回れ右をした。今度は休憩なしでミヨ子さんの「わが家」まで帰る。往復100メートルにも満たない散歩だったが、30分くらいかかった。それはまあ、やむを得まい。

 家に上がるとミヨ子さんは自分の座椅子に座り、「疲れた、喉がカラカラ」。わたしは、ミヨ子さんといっしょに飲もうと前もって送っておいた粉末梅ジュースを取り出して、コップに溶かし氷を入れて渡してあげる。ミヨ子さんは「まあ、冷たくておいしい」とごくごく飲んだ。

 この日の「散歩」の一端は、休みで家にいた孫娘(姪)が家の中から動画と写真に撮ってくれていた。「いっしょに散歩する機会は、もうないかもと思って」、お嫁さん(義姉)が撮らせたのだという。そう、こんな機会は本当にもうないかもしれない。いろいろな意味で、印象深い30分だった。

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