文字を持たなかった昭和411 おしゃれ(7) 帽子は「気狂わしか」

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 これまで、ミヨ子の生い立ち、嫁ぎ先の農家(わたしの生家)での生活や農作業、たまに季節の行事などについて述べてきた。ここらで趣向を変えておしゃれをテーマにすることとし、モンペ上に着る服足元姉さんかぶりなどを書いた。時期は概ね昭和40年代後半から50年代前半だ。

 農作業用帽子については、ミヨ子は鬱陶しがってあまり好まなかった、と述べた。あとで考えたら、ミヨ子は帽子そのものがあまり好きではなかった。

 冬になると鹿児島もそれなりに寒い。ことに二三四(わたし)が幼稚園に上がった頃までは年に数回は雪が積もったし、雪のあとは軒下につららも下がった。庭に積もった雪を踏み固めて「スケート」のつもりで滑ることもあったが、2~3日は遊べた。日陰の雪は1週間ほどもそのままで、水分だけ抜けてパラパラになった。

 そんな冬場、近隣のおばさん、おかあさんたちは自分で編んだり、誰かに編んでもらったりしたカギ針編みの毛糸の帽子をよく被っていた。帽子の上に農作業用帽を被る人もいた。

 ミヨ子も臙脂色の毛糸の帽子を持っていた。これは手編みではなく、どこかのタイミングで買ったのだと思う。若い頃――戦後しばらくしてから、佐賀の紡績工場に数年勤めた時期〈181〉――、同僚たちとお休みの日に買ったものを、大事にしまっていたかもしれない。

 が、そのすてきな色の帽子をミヨ子はほとんど被らなかった。理由は、農作業用帽子同様「気狂わしか(鬱陶しい)」からだ。もともとねこっ毛の髪がぺたんこになるのも気に入らないようだった。

 そんなわけで、ミヨ子が頭に被るものと言えば結局手拭いを姉さんかぶりに結んだものがほとんどだった。

 ところで、ミヨ子がよく使っていた「気狂わしか」という表現を、二三四(わたし)はここ(note)で帽子について書くまで鹿児島弁だとばかり思っていた。何か(物体)がじゃまになって鬱陶しい、という場面で使い、気分がイライラする、落ち着かない、というニュアンスも十分に伝わる。しばらく散髪に行っていないときも
「びんたん毛が長(な)ごなって、気狂わしか」(頭の毛が長くなって、鬱陶しい)
のようにミヨ子は言っていた。

 しかし今回改めて鹿児島弁として調べてみて、該当する言葉がない、少なくとも見当たらないことを知った。

 ミヨ子の言語感覚、とくにオノマトペの使い方は秀逸だったと、いまになって思うことがたまにあるが、 「気狂わしい」もミヨ子の造語だったのだろうか。そのわりに近隣の人たちとの会話ではすんなり受け入れられていたが。あるいは地域的な方言だったのか。

 答えられる人がもうほとんどいないのが残念だ。

〈181〉佐賀での紡績工場勤めについては「二十(紡績工場)」から数回にかけて述べた。


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