文字を持たなかった昭和409 おしゃれ(5) 姉さんかぶり

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 これまで、ミヨ子の生い立ち、嫁ぎ先の農家(わたしの生家)での生活や農作業、たまに季節の行事などについて述べてきた。ここで趣向を変えておしゃれをテーマにすることとし、ミヨ子の体型や風貌、ふだん着としてのモンペ上に着る服足元について書いた。時期は概ね昭和40年代後半から50年代前半だ。

 次は「頭」である。

 二三四(わたし)の記憶の、ミヨ子の頭を覆っていたものの中でもっとも印象深いのは「姉さんかぶり」だ。姉さんかぶりとは、手拭いの中心側を前頭部に載せ、両端を側頭部から襟足に回してから、上側の角のふたつをま結びに結んで髪(頭)全体を覆うスタイルだ。

 もともとは日本髪を結っていた頃、髪型を崩さずに髪の汚れを防ぐために使われていたやり方だと思う。ミヨ子を含む近隣の農家の主婦たちは、日本髪を結わなくなっても、手拭い1枚で帽子の役目を果たすこの「姉さんかぶり」を好んでいた。手拭いを目深に垂らせば日よけにもなるし、結ばなかったほうの角が首筋に下がるので、これも日よけになった。

 当時、手拭いはちょっとした景品などでしばしばもらうもので、どの家庭にもたくさんあり、ざぶざぶ洗って気兼ねなく使えるのも重宝だった。ただし、もらいものの手拭いは宣伝物なので、頭の目立つところに稲穂をデザインした農協のマークや、地元の焼酎メーカーの銘柄が大書されているのはやむを得なかった。かぶっている手拭いによって、そのお宅がふだんどんなものを使ったり食べたり、どの店で買物をしたり、どことつきあいがあるかがわかるのはご愛嬌だった。

 しかし、前項の下駄同様、「姉さんかぶり」に使える手拭いも、日本全体のライフスタイルの変化に伴い、身の回りから少しずつ姿を消していく。

 代わって主役に躍り出たのはタオルだが、タオルでは姉さんかぶりは務まらない。長さが微妙に足りないせいもあるが、厚みがあるため後ろに回して結ぶときの結び目が作りにくいせいもある。手拭いなら真中の折り目から後ろへの流れが自然なのに、柔らかいタオルでは「ただ頭を覆っている」だけの姿になるのも、美しくなかった。

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