文字を持たなかった昭和410 おしゃれ(6) 農作業用帽子

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 これまで、ミヨ子の生い立ち、嫁ぎ先の農家(わたしの生家)での生活や農作業、たまに季節の行事などについて述べてきた。ここらで趣向を変えておしゃれをテーマにすることとし、ミヨ子の体型や風貌、ふだん着としてのモンペ上に着る服足元、そして姉さんかぶりについて書いた。時期は概ね昭和40年代後半から50年代前半だ。

 手拭いを使う姉さんかぶりは手軽だが、日よけ、汚れよけとしてはやはり帽子にはかなわない。しかし伝統的な麦わら帽子はその大きさがときに農作業のじゃまになるし、なによりおしゃれではない、ということだったのだろうか。昭和40年代になると、女性向けの農作業用帽子が売られるようになった。

 最初にこれを開発したのがどこの会社で、どの地域から使われ(売られ)始め、どういう経路をたどってミヨ子たちが住む農村地域に普及してきたのかはわからない。これについては単独で調べたら研究のしがいがありそうだが、それはおいておく。二三四(わたし)が気づいたときには、この帽子を近隣のたくさんのおばさん、お母さんたちが使っていた。

 帽子の生地は木綿で、頭から肩まで広く覆うスタイルだ。広めのつばがついていて、頭を覆う部分は通気性を考えてかふんわりと形作ってある。つばを大きく作ったキャスケット帽とケープが一体になった、と言えばいいだろうか。帽子がずれないようあごで結ぶ紐もあるが、これも見た目を考えてか共布で作ってあった。

 色や柄もいろいろあって、シャツブラウスやモンペを買うよりは手軽なこともあり、自分の好みのものを選べた。ただ濃い色のものは少なかったように思う。ピンクや水色などの薄めの色で、チェック柄や花柄などが多かった。

 ただミヨ子は、とくに普及し始めの頃は、この帽子をあまり好んでいる様子ではなかった。いわく「気狂わしか」。つまり鬱陶しいと言うのだ。布製で軽く通気性がいいと言っても、首回りから肩まで被さる感じが嫌だったのだろう。それでも持ってはいて、稲刈りや脱穀などの埃が多い作業を中心に使ってはいた。

 たしかに、ほかのおばさん、お母さんたちに比べたら、ミヨ子がこの帽子を被って作業する場面は少なかったかもしれない。この帽子を被った日は帰宅したらすぐに取って、勝手口の柱に打った釘にひっかけるミヨ子の姿をよく覚えている。

 余談だが、「農作業用帽子」で検索すると、現在売られている商品が多数ヒットする。どれも機能的で、日よけ効果もよく考えられている。何よりおしゃれだ。「農家さん」を取材するテレビ番組などでは、農業従事者の皆さんが男性も女性もおしゃれなのに驚く。機能性第一、おしゃれは二の次、へたするとあるものを手作りするしかなかったミヨ子たちの時代とは隔世の感がある。

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