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【自分さがしvol.6】自分も他人も知らない新しい自分をみつける

自分のことって、自分でわかっていると思いがち。
けれど、少なくとも4つの自分は確実にある。

1955年夏にアメリカにて催行された「グループ成長のためのラボラトリートレーニング」席上で、サンフランシスコ州立大学の心理学者ジョセフ・ルフト (Joseph Luft) とハリ・インガム (Harry Ingham) が発表した「対人関係における気づきのグラフモデル」を後に「ジョハリの窓」と呼ぶようになった。

Wikipedia

「ジョハリの窓」は、グループ成長のためのトレーニングにおいて、「対人関係における気付き」のグラフモデルとして作られたもので、下のような四象限の図になる。

ジョハリの窓

 この4つの窓を埋めようとして、すらすら埋まるかと言うとそうでもなくて、特に右下の窓は、どう捉えたらいいのか…なかなか開かない窓だと思う。
   
    左上の「開放の窓(open self)」は、自分も他人も知っている「自分」。この窓が大きいと、コミュニケーションが円滑になると言われている窓。
 左下の「秘密の窓(hidden self)」は、自分は知っているが、他人は知らない「自分」。この窓は、文字通り、他人からは隠されている自分、過去のトラウマや、傷、弱さなど、あまり他人に知られたくないものが集まるかもしれない。この窓が大きくなると、コミュニケーションが困難になることがあると言われている窓。

 「自分」ってこの2つである…と思いがち。あと2つある。
 右上の「盲点の窓(blind self)」は、自分は気が付いていないが、他人が気付いている、他人には見えている「自分」。この窓も、何となく欠点が集まってきそうだが、そうとも限らず、可能性があるのに開かれてないものを他人が気が付いてくれていたり、または、耳に痛い言葉を言ってくれる人もやはり、「勿体ない」とか「良くなるのに」と見込んでのこと。自分で気付いていない長所や短所を教えてもらえる、宝箱の窓。

 そして、最後に右下の「未知の窓(unknown self)」は、自分も他人も、まだ誰も知らない「自分」。この窓は、「盲点の窓」と「秘密の窓」を小さくして、「開放の窓」を大きくしていくにつれて見えてくると言われている…が、ピンとくるだろうか。だって、誰も知らないのに。それがどうして、「開放の窓」が大きくなると「未知の窓」が見えるのか、私の中でなかなか繋がらなかった。

 この「未知の窓」が少し開いたのだろうか…と感じたエピソードを、お話してみます。難しいのですよね。解釈が間違ってなければいいのですが。

  ニンニの物語に出てくる「勇気」のお話。
こういう、勇気を振り絞ったことが、右下の窓を開けるようなことがあると思う。

    人と接することが、とにかく怖くなってた自分。
社会復帰することに必死で、「ここは、何があっても、受験期までは勤める」と決めて勤めた。約3年間、何度辞めようと思ったことか…心身の不調と折り合い付けながら、時に休むこともありながら、フルタイム勤務と大学履修を同時にやり遂げた期間だった。退職の危機は、同僚との衝突から体調を崩したこと。納得は到底できない、物理的に無理な要求があまりに長く続き、ある日、キレてしまった。いつもは納得できなくても、争いたくないから「Yesマン」になってしまってた自分。やり方としては、「キレる」以外の方法の方が、もちろん社会生活においては望ましい。けれど、自分は「キレる」こともできなくなっていた。どんなに理不尽でも「Yes」と言ってしまう自分を変えたくて、思い切ってぶつかった。
結果…返り討ちに遭ったわけですが…その後復帰してからは、コツコツと自分から、相手への理解を試みて働きかけること1年間…人間関係は随分と変わり、笑い合うことが時折りあるくらいになった。
 ほんの少し…いや、思いっきり振り絞った「勇気」のおかげ。
 
 もう一つの私の怖いものは「権威」。到底適わない、専門知識をもつ人たちをリスペクトしているものの、何か疑問に思ったところで、意見を言えない。権威あるものが、必ずしも正しいとは限らない。だから科学は前例を批判しながら発展したのだし、既知ものを信じきって、「絶対」のものにしてしまうのは危険がある。当時の上司の口癖は、「絶対はない!」だった。私の口癖は「絶対」だった。失敗が怖くて、だから確かそうなものに依存し、だって偉い人がそう言っている…そのような感じで済ませて、深く知ろうとしないこともあった。この上司との出会いは大きかった。「自分はまだ、こんな専門書を読むようなレベルではない」と、興味があるのに手に取ることができなかった本を、この上司は勧めてくれた。
 「読んでもいいの??」と、まるで子どもに返ったようなワクワク感と、そして嬉しかったことを記憶している。

 いずれも、「未知の窓」を少しばかり開けた例じゃないかと、自分では思っている。同僚との衝突は、お互いに大事にしていることを、少しずつ知っていく過程で、関係修復ができたもので、「キレる」ほどのエネルギーを持って訴えたことも無駄じゃなかった。それがきっかけとなったコミュニケーションがそこから始まったのではないかと思っている。後者も、「勇気」が必要だった。自分のやりたいこと、関心を寄せていることを、とても抽象的で形にならない段階で、話してみるということをした。それは、たぶん聞いてくれるんじゃないかという期待を、普段の仕事から感じていたからだ。荒削りのとても恥ずかしい話。笑われてもいいと、力をつけたい一心で話してみたら、当時の私にはまだ難しい本を、勧めてくれたのだ。

 「自己開示×他者理解+勇気」。
 もう一歩先へ踏み込むような一言って、やっぱり簡単には言えないでしょう。その勇気を振り絞った先に見えてくるのは、弱っちくて、「Yes」しか言えなかった自分が、実は「強さ」も持っていたということだ。

    「回復する」ということは、以前の自分に「元に戻る」ことではなくて、この右下の窓を開けていくような作業の繰り返しだったように思う。


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