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えにしの出逢い

人生のストーリーは、それぞれが生まれるまえに、おおよその筋書きを決めているという話がある。神は乗り越えられる試練しか与えない・・・。であれば、それは自分自身が、神と相談して決めてきた試練なのかもしれない。たとえ試練を乗り越えることができなくても、そのストーリーは筋書き通りで、「乗り越える」ことの本当の意味は、試練を経てきたすべてを受け入れて、許すということかもしれない。どんな役まわりでも、現れた登場人物たちをすべて受け入れるということ・・・ではないだろうか。

「えにしの出逢い」

朝、電車を降りる。

僕が会社への出勤途中、いつも立ち寄る喫茶店。

カウンターとテーブル2つ。オーナーは70歳のおばあちゃん。

細身の体で機敏に動きまわり、すこぶる元気がいい。

時折、タバコをくゆらせながら、カウンター越しで僕に昔話をしてくれる。

「急だけど、明日は、お店休むから」

その予告通り翌朝、お店は閉っていた。

しかし、その翌日も、その次も。

やがて一カ月が過ぎようとしたある朝、お店はオープンしていた。

「久しぶりです、やっとお店開けたんですね」

いつものコーヒーと灰皿を出してくれた彼女は、セピア色になった写真を一枚、僕に見せてくれた。

「きれいな方ですね」

「ハタチのころの私よ。舞台女優してたの」

初耳だった。

そして、彼女はもう一枚、見覚えのある写真を僕の前に差し出した。それは僕の母が、幼いころの僕を抱いている写真だった。

「ど、どうして・・・これを」

不倫の末、僕の母を産んだ後、このおばあちゃんは、シングルマザーで母を育て、一人ひっそりと今日まで生きてきたのだった。

僕の両親は、交通事故で既に他界している。

「一か月前に、あなたが名刺をくれた時、分かったの」

約一か月間お店を休んだのは、自分のことを僕に話すかどうか迷ったからだった。そして、彼女が母の墓前に立った時、なぜか耳元に、あの懐かしい声が聞こえてきたのだと。

いつのまにか、僕の頬には、ひと筋の熱いものがこぼれていた。


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