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龍神さまの言うとおり。(第10話)

二十六年前・・・。

愛媛県の八幡浜港と、その沖合にある大島を二十分ほどで結ぶ小型の高速フェリーには、洋介と恭子を含めて合計八人が乗船していた。

先ほどまで降っていたスコールのような雨は、乗船前に止んでいて、空には再び青空が広がっている。

午前十一時半。高速フェリーは定刻通りに八幡浜港を出発した。

「大島には、龍神伝説があるの知ってた?」

高速フェリー内の座席に、恭子と並んで座る洋介が聞いた。

「ううん、知らない。どんな伝説なの?」

「八幡浜市内に五反田っていう町があるの、知ってるよね。そこに保安寺という寺があって、その裏には小さな池があってね・・・」

そして洋介は、以前に八幡浜の市立図書館で読んだ”龍神のわたり”という伝説を、次のように話し始めた。

保安寺の裏にある小さな池には龍神が棲んでおり、成長するとともに体が大きくなったことから、手狭になった池を出て大きな池へと引越しをする必要があった。そこで、対岸に見える大島の龍王池に目をつけ、そこへ渡るために美しい女性に変身したのだった。

そこで美しい女性は、通りかかった貧しい漁師に声を掛けて、その船に乗せてもらうことにしたのだった。そして、無事に大島へ到着した龍神の化身である美しい女性は、そのお礼にと、今後の大漁を約束したのである。但し、それは龍神の化身である自分との約束を絶対に口外しないという条件付きであった。

やがて、貧しい漁師は、約束通りに大漁が続いたことで大金持ちになったのであるが、そのせいか、言動が横柄になり、口外しないと約束したはずの、美しい女性に化けた”龍神のわたり”のことを誰彼となく口外してしまう。すると、今度は不漁が続く事態となり、漁師は元の貧乏な暮らしに戻ってしまったのである。

ただ、元の棲み家であった保安寺に対して龍神は、かつての恩を忘れることなく、住職の雨乞いに対しては、どんな日照りが続く時でも必ず雨を降らせたという伝説である。

「へ~、そんな伝説があったんだ~」

恭子は、洋介の話しを興味深く聞き入っていた。

「この伝説、まだ続きがあるんだよ」

「えっ、そうなの?教えて、教えて」

恭子は、せかすように洋介のほうを見て言った。

「大島に渡った龍神は、美しい女性に変身したけど、実は男性の龍神だったらしい。そして、八幡浜市の南にある三瓶町の池には、以前から女性の龍神が棲んでいて、距離を隔てもお互いの心は通じ合っていたことから、やがて恋仲になったんだ。そして、その女性の龍神も人間の女性に変身すると、漁師に頼んで大島に渡ったという話しだよ」

恭子は、ロマンチックな伝説に感動したのか、ただ黙ったまま、洋介を見つめていた。

「北山さん?」

洋介の問いかけに、ようやく反応した恭子は、我に返ったように正気を取り戻した。

「女性の龍神は、今も男性の龍神と幸せに暮らしてるのね、大島の龍王池で」

「そう。その大島の龍王池だけど、元々は大入池という名前だったんだ。でも、この伝説から、龍王池と呼ばれるようになったらしいよ」

「行ってみたいわ、龍王池に」

「もちろん行くよ。生物部の大島キャンプは、龍王池のすぐそばにある海岸沿いの遊歩道にテントを張るからね」

洋介がそう言ったところで、周囲に座っていた人々が下船の準備を始めた。高速フェリーの窓からは、島影が近くまで迫って見えている。あれこれ二人で話しているうちに、片道二十分ほどの船旅は、あっという間に過ぎ去っていたのだった。

「じゃ、そろそろ、船の後ろにあるデッキに行こうか」

そして、二人は席を離れて、デッキへと移動した。

高速フェリーは、ゆっくりと速度を落とし、桟橋へと船体を接近させている。洋介は、その様子をデッキに立って眺めながら、潮の香りを胸一杯に吸い込んだ。船尾の向こうには、人口三百人ほどが住む集落の家々が点在して見える。そして、その集落の背後には、濃い緑色に染まった山の急斜面が続いていた。

「ここの潮風は、八幡浜の港とは違う感じがするんだよね」

洋介が、ゆっくり深呼吸して言うと、恭子も同じように深く息を吸った。

「確かに、何か違うわね」

「そう。癒される~って感じかな」

洋介は、付け加えるように言うと、船を下りて桟橋へと向かった。この先には、海の幸を低価格で味わえる食堂がある。

「あそこだよ、例の食堂。ちょっと寄って行こうか」

洋介の後を、恭子は物珍しそうに周囲を見回しながら、小走りについていった。港の近くにある食堂に入ると、中には二人以外に食事をする客はいなかった。去年の夏も生物部のキャンプで、この島を訪れていた洋介だったが、ここで食事をするのは初めてである。

「ん~、お腹一杯。ごちそうさま。北山さんの弁当、半分もらって食べちゃったから、おかげで満腹だよ」

洋介は海鮮丼を注文したのだが、恭子のほうは、おにぎりを持参していて、四個のうち二個を洋介がもらって食べたのだった。

「ううん、私も助かったわ。ママが多めに作って入れてたから」

持参した弁当箱を片付けながら、恭子が言った。

「じゃ、行こうか」

洋介はそう言って、恭子と食堂の近くにあるレンタサイクルの店に行くと、自転車を二台借りて、龍王池のある地大島へと向かった。

第11話へ続く。

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