正五角形にならない自由な才能

画像1 学校の授業の点数だけでは測れない、縛ることのできない、自由な才能ってのは確実に存在する。
画像2 写真専門学校にもいた。10代の子からしたらすでにオッチャンだった自分より全然ナチュラルに上手い人、というか魅力的な写真を撮る人。
画像3 写真の上手さにつながる部分としては、「場の空気への溶け込み方」、「モデルの選び方・メイク・背景や照明を含めたスタジオのセッティング」、「コミュニケーション能力」などなど、、、ほとんどがカメラの内側とは関係のない、外側の部分。だが、写真の上手さってモノの8~9割くらいはカメラの外側にあるもんだ。
画像4 フィルムだけやりたい、スタジオで人だけ撮りたい、旅の写真だけ撮って生きて行きたい、、、そういった、決して正五角形のパラメータにはならない、ある種いびつともいえる尖がった能力を持つ彼らはスマホカメラでもコンデジでも上手かった。
画像5 学校に入ると、カメラ・オブスクラなどの歴史も含めて写真に関連することを広くまんべんなくやるため、本人がやりたいことだけを出来る訳ではない。だからその辺りでシンドくて、辞めてしまう子も少なくない。。。
画像6 いや、もちろん歴史を学ぶのは非常に大事。自分がやりたい写真の方向性ってのは、歴史的に見るとどんな感じだろう、と。先人が踏み固めた道があるからこそ、後進は歩きやすい訳でして。
画像7 技術や痛みを覚えて弱くなってしまったボブ・サップのように、、、んまぁ才能の伸ばし方ってのがムズカシイんだろうけど、、、「作家になれば良いのになぁ」と思う人がスタジオに就職したり、「ゴリゴリのスタジオカメラマンが合いそうなのになぁ」って人がフリーター兼作家になったり、、、人生色々。だけど、写真って、楽しいもんっす。

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