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知はどう分類されるのか?―ドゥニ・ディドロ【百人百問#012】

本屋に行くと、趣味コーナーやマンガコーナー、実用書コーナーや歴史コーナー、美術コーナーや小説コーナーなどに分けられている。自分の興味あるエリアに行って、さらに細かな分類を見る。旅行コーナーであれば、国内か海外か。海外であればヨーロッパかアジアか。ヨーロッパであればスペインかイギリスか・・・。こうやって人は自分が求めている情報に到達することができる。

これは当たり前の話ではあるが、この単純なツリー構造のおかげで情報にアクセスできている。では「趣味」「マンガ」「実用書」「歴史」などはどういう基準で分類されているのだろうか。

そもそも、本屋のテーマに合わせて本は作られているわけではない。たとえば、ヨーロッパのアートをめぐる旅の本は、旅行コーナーか美術コーナーか定まらないし、歴史小説マンガも「マンガ」「歴史」「小説」のどこにあってもおかしくはない。本という情報のかたまりを分類するのは実は一筋縄ではいかないのだ。

図書館に目を向けると、いつも決まった分類がある。
それは日本十進分類法と呼ばれ、「0 総記」「1 哲学・宗教」「2 歴史・地理」「3 社会科学」「4 自然科学」「5 技術、家庭、工業」「6 産業」「7 芸術、体育」「8 言語」「9 文学」という風に、10の大きな分類で分かれている。どんな本であっても、必ずこの10分類のどこかに位置づけられる。

もちろん、これも絶対的なものではない。先程の本屋と同様に、そう簡単に知を分けることはできない。とはいえ、毎回自由に本を並べていたら、どこに戻したらいいかわからなくなるため、より効率よく管理するために十進分類が採用されている。

この日本十進分類法はそもそもアメリカの図書館学者メルヴィル・デューイが考案したものを日本型に再編集したもので、両者は大きくは異ならない。デューイの十進分類法は世界で最も多く使われており、135カ国で活用されているという。

さらにルーツを辿ると、デューイは哲学者であるフランシス・ベーコンの分類を参考にしている。ベーコンは「知は力なり」で有名な人物で『学問の進歩』という著書の中で人間の知的能力を分類した。

ベーコンの分類によると、人間の知的能力は「記憶・理性・想像」の3つに分けられ、それぞれに「歴史・哲学・詩」が該当しているという。この三分類から学問の区分を始めた。十進分類に比べるととてもざっくりしているようにも感じるが、そこからさらに細分化し、「哲学」の中には神、自然、人間などが含まれ、「歴史」の中に自然史、社会史、教会史などが含まれ、「詩」の中に物語や叙事詩、劇詩、風刺詩などが含まれる。当時の詩はアートのようなものだ。

ちなみに、このベーコンの分類はデューイのみならず、ヘーゲルにも踏襲され、知識は「哲学思想→詩文学→歴史観」という順で進んでいくとという歴史観に発展させ、ヘーゲル的歴史観に昇華される。

ここでようやく今日の本題に入りたい。
このベーコンの分類をインスピレーションに『百科全書』を生み出したのが、編集者ドゥニ・ディドロである。彼について鷲見洋一著『編集者ディドロ』と井田尚著『百科全書』を参考に、探求していきたい。

知識を蓄積し、列挙し、分類するというのは人類の悲願だった。
古くはアリストテレスが『動物誌』で生物を二つのカテゴリーに分け、プリニウスは『博物誌』で宇宙や地理や人間を分類した。18世紀にはカール・フォン・リンネが登場し、『自然の体系』によって、分類史の決定版を刊行した。そこには4730種の生物が記述されていたという。

動物や植物の「カタログ化」が進む中で、知識や言葉や人間生活をも分類したい、という欲求が盛り上がっていく。人は分けずにはいられないのだ。

そんな中、1728年にイギリスでイーフレイム・チェンバーズによって『サイクロペディア』という百科事典が登場する。20年足らずで8回の版を重ね、大量の引用と典拠が特徴となっている。

そして、この翻訳企画としてフランスで始まったのが『百科全書』の刊行企画だったのだ。『百科全書』の刊行は、拡大していくフランス啓蒙思想の旗印でもあり、理性・知識の集大成だった。まだフランス革命前夜のことだった。

この編集を担当したのがディドロであり、彼はまだ無名の著述家だった。『百科全書』の企画が産声をあげた頃、ディドロは『サイクロペディア』の不出来なフランス語訳を手直しするアルバイトとして参加していた。

もともとディドロは安定した収入を目指し僧職に魅力を感じていたが、安定した家計を維持するため、英語を独習し、当時流行だったイギリス思想の翻訳者、紹介者として著述家の道に進んでいた。

初期の編集責任者だったド・マルヴが辞任後、ディドロは『サイクロペディア』の翻訳にとどまらず、自分たちで執筆する方針を提案したと言われている。その結果、知人であり、当時名声の高かったダランベールに共同編集を依頼することになる。

1747年にいよいよディドロとダランベールは編集長に任命される。当時まだ貧しい生活を送っていたディドロにとって願ってもない僥倖だった。もともと『サイクロペディア』の翻訳企画だったものが、1750年にはディドロの手によって「趣意書」と呼ばれる『百科全書』の構想が発表されることになる。

とはいえ、友人のルソーがスーパースターとして注目されていたことに比べ、ディドロはまだ無名の作家だった。ちなみに、趣意書は販促パンフのようなもので、いまで言えばディザー施策の一つであり、予約販売を促すものだったそうだ。

そもそもこの『百科全書』プロジェクトは思想的、哲学的に大きな意味をもっていたことに留まらず、出版業という経済活動において、18世紀末のフランス資本主義の大規模事業に匹敵する規模を誇っていた。

ル・ブルトンという一人の書籍商から始まった翻訳企画は、4名の書籍商のプロジェクトになり、150名を超える執筆協力者が参画。そこにはヴォルテール、モンテスキュー、ルソーなどの超著名人から、有名ではない知識人までさまざまだった。

その中でも『百科全書』の第三の男として、ジョクールという人物がいる。彼は知名度ではディドロとダランベールに劣っているものの、全項目数の約4分の1にあたる17,000以上の項目を執筆した「最多項目執筆記録保持者」である。その多くは、過去の文献からの「コピペ」ではあったものの、大量の学術情報を編集・加工した手腕は職人技だったという。こういう編集職人のおかげで大事業が支えられていた。

こうして『百科全書』の予約講読者は4000名にのぼった。ヴォルテールによると、編集執筆していた25年以上の長きにわたり、製紙業者、印刷工、製本職人、彫版師など1000人以上の職人を動員したという。

一方で、『百科全書』を刊行することは、先端の技術や科学思想を紹介するものだったため、宗教界や特権階級から危険視もされていた。ディドロはたびたび出版弾圧や執筆妨害を受けることになり、1759年には全面禁止の受難も受ける。

この出版取消を受け、執筆者の大多数もこの企画から離れていくことになる。そのため、ディドロはかなりの数に上る項目を一人で執筆しなければならなかったという。ようやく1765年に刊行が再開され、1772年にこの大事業を成し遂げることになる。

当初の趣意書では「8巻は下らず、図版は600枚になる」と宣言しながら、最終的には、全28巻にのぼり、図版は2900枚という巨大な規模になる。ディドロはどんな編集構想を持っていたのか。趣意書にはこう書かれていた。

世界がわれわれに示してくれるのは個々の存在だけにすぎず、数において無限であり、画然と固定した区分などはほとんどない。すべては目に見えないニュアンスで繋がっている。

つまり、本屋の分類と同じで、本と本、知と知は「目に見えないニュアンス」で繋がっている。そう前置きした上で、フランシス・ベーコンの「記憶・理性・想像力」の三分割法を根底に、『百科全書』の作業に取り組んでいく。

「記憶」には「歴史」が該当し、その中は、神に関わる事実を扱う「聖史」「教会史」、人間に関わる事実を扱う「古代および近代の世俗史」、自然に関わる事実を扱う「自然史」に枝分かれする。「自然史」からは「自然の一定不変性」や「自然の変異」「自然の利用」に枝分かれし、細分化していく。歴史が人間の歴史のみならず、自然史も含まれることに特徴がある。これは、人間が技術と知恵と力によって自然を征服するべきだと主張したベーコンの思想が反映されている。

「理性」は「哲学」に該当し、「神についての学問」「人間についての学問」「自然についての学問」に分かれる。『百科全書』の系統樹において、この哲学の幹が最も太いものになっている。「神についての学問」は霊物学、神学、宗教、迷信、占術、黒魔術などからなり、「人間についての学問」は論理学と道徳に分かれ、思考術、記憶術、文法、意思伝達術、善悪、義務、正義、美徳などを扱う。「自然の学問」には物理学、数学、数理物理学、宇宙論、気象学、地理学、鉱物学、植物学、動物学、医学などが含まれる。

「想像力」は「詩」が該当し、この「詩」は芸術一般をカバーするもので、「物語詩」「音楽」「絵画」「彫刻」「建築」「彫版」「劇詩」「寓話詩」が含まれている。ディドロによると詩とは聖俗いずれかの主題をめぐり、実在した人物などを模倣した想像上のキャラクターを描くフィクションを指していた。

この系統樹は「人間知識の体系図解」と呼ばれ、『百科全書』の「趣意書」に記されていたものだった。この分類について、ディドロは苦悩していた。

この人間知識の樹木を形成する仕方はいくつかありえた。われわれのさまざまな知識を魂のさまざまな機能に関係づけてもよかったし、知識が対象としている存在に関係づけてもよかった。だが、恣意性が増すほどに、困惑も大きくなった。恣意性は際限なくあったからだ。

ディドロ「趣意書」

とはいえ、これはあくまで趣意書のプランであったため、実際にはこの系統樹に分類されない項目も出てきた。たとえば、「パリのパルルマン法院史」「マホメット主義の歴史」「迷信の歴史」「人間のまやかしの歴史」「ローマ人の賭博の歴史」などが新たな分類項目として登場したという。

『百科全書』の膨大な項目の中で、白眉とも言えるのがまさに「百科全書」という項目だと、フランス文学者の鷲見洋一は言う。この項目はディドロ自身で執筆しており、膨大な量の情報が記載されている。

『百科全書』の目的は、地表に散らばった知識を集め、その普遍の体系をともに暮らしている人びとに説明し、われわれの後にくる人びとに伝えることである。過去の時代の仕事がきたるべき時代にとって無用な仕事とならず、子孫たちがより教養を高め、同時にさらに有徳で幸福になるように、またわれわれが人類に貢献することもなく死ぬことのないようにするためである。

『百科全書』第五巻「百科全書」の項目

ディドロが人類史の中で『百科全書』を位置づけている気概が見て取れる文章だ。さらに「人間」を軸に説明する。

人間が居合わせるからこそ、諸存在のありかたが興味あるものになるのだ。こうした存在の歴史を語るに際して、このような配慮に従うことぐらい重要なことはない。人間を本書のなかに導入してはどうだろう。人間は世界のなかにいるのだから。人間を世界の中心にしたらどうだろう。

同上

この人間中心主義がフランスの啓蒙思想の光でもあっただろう。知識や学問の根源を「人間の知性」に据えているのだ。ノルベルト・ボルツ(#005)が大文字の「人間」が失われたと言った時代はまだずっと先のことである。

最後にディドロがもっとも力を込めて主張した編集技法を紹介したい。それは「参照法」と呼ばれるもので、「知のネットワーク」を実現しているものだ。いまではハイパーテキストも容易にできるが、書物の上で実現しようとしている。ディドロの参照法は4つある。

①事物参照法:類似概念や反対概念を提示し、知の遠近法を提示する
②語句参照法:専門用語をいちいち説明せず、他項目にリンクさせる
③類似同士の参照法:これは難しい技法だが、自然における類似の性質、技芸における相似の操作を関連付けるというもの。この技法は「天才」の為せる業だと述べている。
④警句的参照法:これはユニークなもので、例えばある項目で「頭巾」について称賛しているときに、「頭巾」の項目ではそれを覆す記述をする。それが警句的という意味である。

各専門家たちから、大量の項目と記述がディドロのもとに送られてくる。お互い重複したり、隙間ができていたりするのを、一つずつ整理し、知識の体系を紡ぎ、知のネットワークを一つひとつ編んでいく。

このようにさまざまな編集技法と狂気的とも言える編集作業によって、20年以上の歳月を経て『百科全書』は完結する。古典に一人で立ち向かった本居宣長(#008)の翻訳作業とはまた異なり、膨大な情報を丁寧に編んでいく事典づくりは、編集の奥深さと壮大さを伝えてくれる。

知はどう分類されるのか。
それは深遠な構想と泥臭い編集作業の往来によって成り立っていた。
ディドロが「人類に貢献する」と言ったことは、まさに実現したことだろう。


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