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消しゴム三号。

< 1 >
手さきがぶきようなさとみは、えんぴつのにぎり方がわるい。おやゆびを前に出すのがくせになっていて、気をぬくとつい、その持ち方になってしまう。なれた持ち方でにぎると、そのぶん早く書くことはできる。でも字はきたなくなる。はんたいに正しい持ち方でにぎると、ゆびさきまで力がこもらず、線がふらついて字はきたなくなる。けっきょく、さとみの字はいつもぶかっこうで大きすぎ、わくからはみでる。

「森山さんの字は、ちょっと元気がよすぎますね」
がっこうの先生は、いつもそういって、赤ペンでおなおしをする。さとみはおなおしがきらいだ。なおされるだけならいいけど、なおされた字を、さらに五回ずつ、書きなおさなければならないからだ。

「はじめにえんぴつのにぎりかた、母さんがちゃんとおしえてあげたらよかったね」
お母さんが、こまったかおをしていう。そんなこといわれたって。お母さんはいつだって、なっちゃんのお世話でいそがしいじゃないか、とさとみは思う。

なっちゃんはさとみの妹だ。さとみがお絵かきをはじめたときは、まだあかちゃんで、お母さんのうでのなかには、いつもなっちゃんがいた。さとみは、自分もだっこしてほしい、あまえたいとせがむかわりに、クレヨンで、えんぴつで、マジックで、いっぱいいっぱいお絵かきしていたのだ。

今日のゆうがたは、お気にいりのテレビ番組がある日だ。さとみは楽しみにしているアニメのために、おやつをたべおわると、さっそく宿題にとりかかった。いちばんにがてな漢字の書きとりだ。二年生になると、あたらしい漢字がたくさんでてくる。いやだなあ。字数のおおい、むずかしい漢字は、書くのがめんどうなんだもの。

「あ、またやっちゃった」
歌という字を書いていたら、マスからはみ出てしまった。まったくもう。さとみははらが立ってきて、消しゴムをつかむと、らんぼうにゴシゴシこすった。つよくこすりすぎたせいで、わりとうまく書けていたまわりの字も、いっしょに消えてしまった。ああ、そっちも書きなおさなきゃ。さとみはますますはらがたってきた。

「ああ、むかむかする。なにもかも、消しちゃいたい!」
 ゴシゴシ、ゴシゴシ
 ゴシゴシ、ゴシゴシ

さとみは、書きかけていたページを、力まかせに消しゴムでこすりはじめた。あまりに強くこすったせいで、消しゴムのかどの部分が、ぽろんととれてしまった。さとみが、しまったと思ったのと同時に、
「いたい、いたいよ!」
消しゴムがひめいをあげた。おどろいたさとみは手をうごかすのをとめた。

消しゴムは、こみあげてくるいかりをおさえきれない様子で、まくしたてた。
「きみはいつもせかせか、いらいらしているから、おいら心配してたんだ。いつかこうなるんじゃないかって」
「こうなるって?」
「おいらのからだの一部が欠けちゃうんじゃないかってさ」

本気でおこられたさとみは、心からもうしわけなく思った。
「もっとやさしく、おいらをにぎっておくれよ。そうじゃなきゃ、いいしごとができないじゃないか」
「ごめんなさい」
さとみはすなおにあやまった。
「きみは、おいらのつかいかたが、へたっぴなんだよ。いつか文句をいおうと思ってたんだ」

字を書くのがへたなのはわかっていたけど、消しゴムのつかい方までへたっぴだったとは…。たしかにさとみが消しゴムをつかうと、かみまでぐしゃぐしゃとシワがよる。力をいれすぎるのと、左手でかみをしっかりおさえていないせいだ。消しゴムにしかられて、ついさっきまでおこっていたさとみは、きゅうに元気をうしなった。

「ごめん、ごめん。おいらの言い方がよくなかったな。ちゃんとしたつかい方をおしえてやるから、やってみな」
おしえられたとおり、さとみは消しゴムをやわらかくにぎり、ゆびの先にだけ力をこめて、かみの上をゆっくりすべらせてみた。すると字がきれいに消えていった。

「わあ、こんなにきれいに消せるんだ」
「そうさ、おいらはなんでも消せる、すごい消しゴムさ」
ほめられた消しゴムは、まんざらでもないというかおをした。

< 2 >
「きみ、今までになんこ、消しゴムつかったの?」
消しゴムがたずねた。さとみは小学二年生だ。たぶん、一年生のときに二こくらいは、つかったはずだ。
「うーん、なんこかな。あんたで三こめかな」
「じゃあ、おいらは、消しゴム三号だな」
消しゴム三号は、自分のなまえを自分できめた。

「それで、一号と二号は、どうなったんだい?」
「…わからない」
一こめは、とちゅうでえんぴつがついて、くろくなりすぎていやになり、すててしまった気がする。二こめは、小さな丸になるくらいつかったけど、いつのまにかなくしていた。こうやって思い出すと、つかいおわった消しゴムのことなんて、さとみはほとんどおぼえていなかった。消しゴム三号はため息をついた。
「まったく。どうせそんなもんさ。おれたちは、どんなにいっしょうけんめい子どもたちを助けてやっても、さいごはわすれられちゃうんだ」

さとみはこまってしまった。そんなこといわれたって。
「とはいえ、おいらの実力をしったら、そまつにあつかうことなんかできっこないよ」
消しゴム三号は、自分をはげますようにそういってから、さとみになにか消してほしいものはないかとたずねた。さとみは、いっしょうけんめいかんがえてみた。

「わたし、消したいものなんて、そんなにないかも」
それを聞いて、消しゴム三号はがっかりした。
「そんなこと言わずに、なにか消してほしいものを、かんがえてみておくれよ」
「よわったなあ」
さとみがうでぐみをして、うんうんうなっていると、消しゴム三号がいった。
「おいらが消せるのは、えんぴつだけじゃないんだぜ」
「それ、ほんとう?」
「ほんとうさ、おいら、とびっきり、スペシャルな消しゴム三号なんだぜ」

さとみは、子ども部屋をぐるりとみわたした。いいもの見つけた。ようちえんのときからずっと大切にしている、にんぎょうののぞみちゃんだ。ちいさなほっぺに、このあいだうっかり、あおいマジックペンをつけてしまったのだ。ティッシュを水にぬらしてこすっても、手をあらうせんざいをつかってみても、とれなかった。

「これをとってほしいんだけど」
のぞみちゃんをもって、さとみはつくえにもどってきた。
「おやすいごようさ」
消しゴム三号は、自信まんまんだ。
「じゃあ、さっきとおなじように、ぼくをにぎっておくれよ」

さとみはいわれたとおり、消しゴムをやさしくつかんで、ゆびさきにぎゅっと力をこめた。おそるおそる、のぞみちゃんのほっぺに消しゴムをあてて、こすっていく。
 コシコシ、コシコシ
 コシコシ、コシコシ

さとみの手のうごきにあわせて、消しゴム三号がブツブツと呪文をとなえた。
 ころころ ぺったん おいらに くっつけ
 ふようなものは サック イッツ アップ

はじめはなにもかわらなかったのに、しばらくこすりつづけていると、だんだんあおいペンのあとは、うすくなって、とうとう消えてしまった。
「うわあ、のぞみちゃんがきれいになった」
「へへん、どんなもんだい」
さとみは、うれしくてうれしくて、のぞみちゃんをぎゅっとりょう手でにぎりしめた。

消しゴム三号は、どうやらとくべつな呪文がつかえるらしい。呪文をつかえる消しゴムなんて、ほかにはないんだぞと、えらそうにあごをあげて、消しゴムはいった。
「じゃあ、つぎはなんにする?」
さとみはふと、お母さんが、自分のはなの左わきについてる、大きなほくろが消えてなくならないかなと、いつもぼやいていることを思い出した。

「よし、まかせとけ」
消しゴムにいわれたとおり、じゆうちょうをひらいて、お母さんのかおをかいた。ほくろはほんものよりも大きくくろぐろと書きこんだ。さいごに、お母さんの絵の右がわに「もりやま りつこ」とお母さんのなまえを書いた。それから消しゴムのかどっこを、ほくろの部分にまっすぐにあてて、ゆっくりこすった。
「ほんとに、こんなことして、おかあさんのほくろが消えるの?」
「まあ、見てなって」

消しゴム三号は、さっきと同じように小声で呪文をとなえた。
 ころころ ぺったん おいらに くっつけ
 ふようなものは サック イッツ アップ

絵のなかのお母さんのかおから、きれいさっぱりとほくろが消えた。
さとみは、子ども部屋をとび出して、リビングでせんたくものをたたんでいるお母さんのところにはしっていった。
「ねえ、おかあさん」
「なあに?」
ふりむいたお母さんのはなのわきには、いつものほくろがみあたらない。
「あ」
さとみは口をぱっくりとあけて、お母さんのかおを見つめてた。
「だから、なあに?」
お母さんも、さとみのかおを見つめかえした。
「ううん、なんでもない」
すぐに回れ右をして、さとみは子ども部屋にひきかえした。すごい。お母さん、かがみで自分のかおをみたら、おどろくだろうな。さとみは、おかしくておかしくて、たまらなかった。

< 3 >
「もっともっと、おいらになにか消させてくれよ」
消しゴム三号は、のぞみちゃんのかおをきれいにして、お母さんのほくろを消してしまっただけでは、ものたりないようだ。消しゴムがやる気になってくれているのは、ありがたいのだけれど…。

「これいじょう消したいものは、わたしはないよ」
消しゴム三号はしょんぼりした。あまりにしょんぼりされると、さとみは自分がせめられているような気持ちになってきた。どうしてわたしが、消しゴムにせめられなくちゃいけないの。そこで、さとみはこういった。
「だってね、わたしは字が下手だから。ほんとは字がうまく書けるようになって、あんたのこと、つかわなくてもいいくらいになりたいの」

これで分かったでしょと、さとみが思っていると、消しゴム三号ははっとなにかをひらめいたようにかおをあげた。
「それなら、おいらがたすけてやるよ」
「どうやって?」
消しゴム三号は、さとみの手のうごきをなめらかにしてやるというのだ。

「きみの字がうまく書けるように、ゆびさきのきんちょうをとってあげるよ。力が入りすぎてるからね。そしたらきれいな字が書けるようになるはずさ。」
そんなこと、ほんとうにできるのかしら。うたがっているさとみに消しゴム三号がせつめいした。

「おいらのからだで、ゆびを一本一本、ていねいにこすってごらん」
さとみのしんぞうが、ドキドキと音をたてた。左手のゆびさきで消しゴムをつかむと、ゆっくりと右手のおやゆびから、こすっていった。
 コシコシ、コシコシ
 コシコシ、コシコシ

消しゴム三号は、ゆびさきをこするさとみの手のうごきに合わせて呪文をとなえた。
 ころころ ぺったん おいらに くっつけ
 ふようなものは サック イッツ アップ

こすりおわっても、さとみの手はいつものままだった。見た目はなにもへんかしていない。さとみはりょう手を目の前にあげて、ひらひらと手のひらをかえしてみた。かわりなし。今日だけでかなり小さくなってしまった消しゴム三号が、いった。
「じゃあ、ためしてみようか」
「どうやって、ためせばいいの」
「なにか手をつかうことを、やってみればいいのさ」

さとみは、くつひもをむすんでみようと思いついた。かったばかりの、うすいピンク色のスニーカーが、はこにはいったまま、さとみの部屋においてある。おねだりしてかってもらったくつなのに、自分でくつひもをむすべないさとみは、まだどこにもはいていけないのだ。
「できた」
りょう手の三本のゆびで、ひもをつまむと、手がひとりでにうごきだし、あっというまにきれいなりぼんのカタチにしあがった。

次にさとみは、漢字の書きとりのつづきにとりかかった。あれ、なんだか、するすると字が書ける。ゆびさきの力がほどよくぬけて、えんぴつはおどるように、かみの上をすべっていく。漢字がぎょうぎよく、マス目のなかにおさまってならんでいた。
「わたしが書いた字じゃないみたい」
さとみは、りょう手をひっくりかえしてながめてみた。見た目はいつもとおなじ、自分の手だ。
「すごいだろ」
消しゴム三号がとくいげにいった。

せっかくきれいな字が書けるようになったんだから、おばあちゃんにてがみでも書きたいなと、さとみは思った。おばあちゃん、よろこんでくれるかな。さとみがおばあちゃんに伝えたいことは、たくさんある。でも、それをことばにしようと思ったら、すぐに手がとまってしまう。

がっこうの作文で、まだいちどもほめられたことないし。日記を書くのもにがてだし。だれにも字がきれいねといわれたことがないさとみは、てがみを書くのをためらってしまうのだ。手がとまると頭のかいてんもストップしてしまうから、なにを書きたかったのか、わすれてしまうのだった。

「さ、書いてみなよ」
消しゴム三号にうながされて、ひきだしのなかにしまってあった、新品のびんせんをとりだした。いつかだれかにてがみを書きたいと思って、大切にしまっておいたものだった。さとみはえんぴつを手に持ち、おそるおそるてがみを書きはじめた。

おばあちゃん、こんにちは。元気ですか。わたしも元気にしています。二年生になって、勉強もむずかしくなってきたけど、たくさん勉強しています。先生にも字がきれいだとほめられます。日記を書くのもたのしいです。

あれあれ、こんなこと、書くつもりじゃなかったのに。思ってもみないことばが、出てきてしまった。
「それはしかたないよ。字がきれいになった手が、そう書きたいと思ったんだろ」
「それは…ちょっとこまる」
「どうしてさ、字がじょうずになったんだから、いいじゃないか」
「…」
さとみは、なんとせつめいしていいのか分からず、口をへの字にして、うつむいた。こんなんじゃない。てがみはもっと自分の気持ちを書くものだ。いいことばでも、それがうそだったら、なんにもならない。

< 4 >
もとの手にもどしてほしいとさとみがたのむと、消しゴム三号はさめざめと泣きだした。
「どうしてだい、なにがふまんなんだい?」
いっしょうけんめいがんばったのに、それをみとめてもらえないくやしさが、消しゴム三号のぜんしんからあふれ出していた。さとみにも、その気持ちはちょっとはわかる。

おねえちゃんだからひとりでやりなさい、おねえちゃんだからがまんしなさい。お母さんはかんたんにそういうけど、いつもいつもひとりでがんばって、ひとりでがまんして、それが当たり前だっていわれたら、ほめてももらえなかったら、なんのためにがんばっているのか、わからなくなる。

「ごめんね」
さとみはあやまった。消しゴム三号がなきやむまで、かなり時間がかかったけど、さとみはだまってまっていた。さとみが大泣きすると、お父さんはずっと待ってくれるから。なぜ泣いているのとか、そろそろ泣きやみなさいとかいわずに、だまって待ってくれる。そうするとなぜだか、さとみの心はしずかになるのだ。

ようやく泣きやんだ消しゴム三号に、さとみはまた声をかけた。
「これからは、あんたのこと、もっとていねいにつかうようにするから」
「ほんとうかい?」
消しゴム三号がいった。
「ほんとう。この約束は消しっこなし、ほんとうのほんとう」
さとみがこたえると、消しゴム三号は、呪文をとく方法をおしえてくれた。
「しろいかみの上を、さっきと同じように、おいらのからだでこすっておくれ」

さとみはじゆうちょうを出してきて、しろいページをひらいた。左手で、かみをしっかりとおさえ、右手で、消しゴムを上下にゆっくりころがした。それにあわせて、消しゴムが呪文をとなえた。
 ころころ ぺったん じゅもんよ とけろ
 ふようなものは サック イッツ アップ

かみの上にしろい消しカスがいくつかできた。消しゴムはそのカスを、自分の口にほうりこんでほしいとさとみにたのんだ。そうすれば、消したことをなかったことにできるという。さとみが口にいれてやると、消しゴムはちいさな口をもぐもぐとうごかして、それをのみこんだ。

「さあ、これで元にもどったよ」
消しゴム三号が、やさしい声でさとみにいった。そばにあるのぞみちゃんのかおには、あおいマジックペンがついていた。いいや、あおいペンがついてたって、のぞみちゃんはのぞみちゃんだもの。さとみはあらためて、消しゴムにおれいをいった。

字がうまくなりたかったら、自分でもっともっと練習すればいい。消しゴム三号がなんどだって、助けてくれるんだから。
「わたし、これからは、きれいな字を書けるようにちゃんと練習するから」
さとみはいった。
「うまくなるのに、すごく時間がかかると思うから、そばでおうえんしててね」
「わかった。おいら、ぜんりょくでおうえんする」
消しゴム三号は、あたらしいしごとをまかされて、とてもよろこんだ。

子ども部屋からさとみが出てくると、お母さんがいった。
「宿題、おわったの?」
「うん」
なっちゃんは、ひとりでつみ木であそんでいた。さとみのすがたをみると立ち上がり、にこにこしながらちかよってきた。
「なっちゃん」
さとみは、なっちゃんをだきしめた。あまいクッキーみたいなにおいがした。

お母さんのはなのわきには、いつものほくろがついていた。やっぱり、このかおがお母さんのかおだ。さとみは思った。お母さんはほくろがきらいでも、わたしはお母さんのほくろのついているかおがいちばん好き。

「せっかくさとみががんばったのに、いつものアニメ、もうおわっちゃったね」
かべのとけいに目をやると、番組がおわってもう三十分もたっていた。お母さんまでざんねんそうなかおをしている。

「いいの」
ふだんなら、どうしておしえてくれなかったのとおこるさとみなのに、今日はなぜだか、あまりがっかりしていなかった。しばらくしてから、さとみはいった。
「ねえ、お母さん」
「なあに?」
「こんど、くつひものむすびかた、わたしにおしえて」
お母さんが、うれしそうにうなづいた。




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