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#84そんな風に生きているから。

心がざわざわして、理由もなく落ち着かなくなった時、わたしは銀色夏生さんのエッセイを読みたくなります。

銀色さんを知ったのは高校生の時。友だちから借りた詩集を読み、日常にある普通の風景を、これほどはかなく、愛おしく、懐かしい写真におさめながらが、心の奥深くに響く言葉を発することの出来る人がいるなんてと驚いたのを覚えています。

時は流れ、わたしは結婚し、慣れない育児に奮闘していた頃、育児日記のような銀色さんの『つれづれノート』というエッセイを見つけ、それ以来欠かさず読み続けています。わたし自身引越しが多かったので、手元に残っている本は僅かですが、最新刊が出る頃になるとついつい足が本屋さんに向いてしまいます。

30年以上続いている銀色さんのエッセイに、もっとも勢いがあり面白かったのは、やはり娘さんのカーカと息子さんのサク君との生活を綴られていた頃で、家庭内で起こるさまざまな珍事件やささやかな喜び、大きな決断などを我が事のように感じながら読んでいました。銀色さんやそのご家族は実在の人物なのに、本の中でしか知らない彼らのことを異世界の人のように感じていた頃もあって、「銀色さんの家族の楽しい生活はこれからもずっと続いていくのではないか」とすら思っていたこともありました。

それでも時は過ぎ、子どもさんたちも独立し、銀色さんは数年前から宮崎の実家の近くに建てたご自身の家で一人暮らしをされています。あんなに仲の良かった家族が別々に暮らせるのだろうかと、これまた勝手に心配してしまうのですが、家族の一人一人がそれぞれの場所で、生活を続けておられるようです。

エッセイはその書き方や、日常の何を切り取って言葉にしていくのかに、その人の考え方や人柄が現れます。銀色さんのエッセイは、ほとんど丸出しといってよいほど、赤裸々な印象があります。表も裏もない。本音も建前もない。淡々とした時間の流れに身を置きながら語られる言葉の中に、潔くて、たくましそうで、迷いも深く、繊細な、ひとりの人が生きていくことのさまざまな思いが見え隠れします。

(わたしも自分の生きる力を今よりもう少し信じて、頑張ってみよう)

素直にそんな気持ちになれる、自然と励まされてしまう語り口です。

(彼女の言葉はどうしてこれほどまで、力があるのだろう)

それは銀色さんという女性が、そんな風に生きてきて、今も生き続けようともがいておられるからだと思います。いろいろな思いを抱えた不完全な人間としての自分を、ごまかさずに生きているから。

(わたしの中からは、こんな言葉は出てこない)

わたしは素直にそう思います。わたしには表と裏の自分がいるし、言葉を書き記していく時の自分はどんな自分なのか、表の自分なのか、裏の自分なのか、それすらもよく分からないままに文字を打っているからです。そんな自分を変えたいと数年前までは悪あがきしていましたが、今は諦めました。わたしのままで、この先の人生を歩んでいくのだろうと思います。

(この先、もう無理して変わらなくてもいいのだろう)

寂しがりで、周りに人の気配がなくなると、途端に心細さで消えてなくなりそうになるわたしのままで、生きていけばいいのだと思えるようになりました。

詩集の中で心に残った作品をここに引用しておきます。何十年か先に、こんな気持ちで日々を過ごせるおばあさんになっていたいなという願いを込めて。

私を支えるものを
私が忘れる時
私は自由になる

私が支えたものを
私が忘れる時
私は解放される

詩集『私を支えるもの』銀色夏生






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