ぼくんちのねこ。(2)
< 3 >
このところ、ぼくは考えごとばかりしている。もう一週間くらいずっとだ。気づくとトラ男のことばかり考えている。こんなにひとつのことを考えつづけたことなんて、これまでなかった。トラ男はぶさいくで、ぜんぜん、かわいくないやつなのに、あいつがいなくなったかと思うと、心にスースーすきまかぜが入ってくるような感じがする。
「さいきん大沢くん、元気ないよね」
きゅうしょくの時間にとつぜんそういわれて、ぼくはどきっとした。おもわず口の中の食べ物をはき出しそうになったほどだ。そういったのは、ななめ後ろのせきの白玉さんだった。
「そうかな。べつに変わらないと思うけど」
おどろいたのをさとられないように、ぼくはこたえた。
二学期になって同じ班になった白玉さんは、クラスの中ではおとなしくて、目立たないタイプの女の子で、ぼくはこれまで、あまりしゃべったことがない。ほけん係だから、クラスの友だちのようすも、ねっしんに観察しているのかもしれないと、ぼくは思った。
そうじの時間がきた。こんしゅう、ぼくたちの班は、中庭をたんとうしている。中庭には、イチョウの木が、何本もうえられている。秋になってはっぱが黄色く色づくと、すごくきれいなんだ。でも、はっぱがおちはじめるとそうじは大変だ。なんどもクマデでおちばをあつめては、ビニールぶくろにおしこんで、しょうきゃくろまで持って行かなくてはいけない。
白玉さんが、ふくろを持ち上げようとして、よろめいた。おもいっきりつめこんだふくろは、かなりの重さになっている。
「ぼくがいっしょにはこぶよ」
「ありがとう」
ふたりで、おちば入りのふくろをはさんでもち、かかえあげながら歩いていく。となりを歩く白玉さんをふと見ると、着ているモスグリーンのセーターに、ねこのアップリケがついていた。
「ねこ、すきなの?」
思いきってぼくから話しかけた。
「うん、すっごく。うちにもねこが二匹いるの」
ねこの話題に、白玉さんは目をきらきらかがやかせた。じぶんちのねこの話をはじめると、白玉さんのおしゃべりはとまりそうもなかった。誰だってそうなんだな。じぶんちのペットって、ただの動物じゃなくて、家族の一員なんだ。白玉さんの話をきいていて、ぼくはそう感じた。
おちばをはこびおわったかえり道、白玉さんから
「で、大沢くんもねこ飼ってるの?」
いきなり聞かれて、ぼくはうっとうなった。
「うん、いたけど、今はいない」
どういう意味だろうと、白玉さんが首をかしげて、ぼくをみた。
けっきょく、なりゆきで、ぼくはトラ男が一週間前からいなくなっていることを、白玉さんにうちあけた。白玉さんはすごくしんけんな表情で、さいごまでだまって、ぼくの話をきいてくれた。トラ男のことは家族以外、だれも知らないし、いなくなったことも誰にも相談していなかったから、話おえるとつかれて、ぼくはふっとため息をついた。
白玉さんが大きく息をすってから、こういった。
「ねこって、かしこいから。きっと理由があって出ていったんだと思うよ」
「そうかな」
「たぶん、そうだと思う」
白玉さんの口ぶりは、ほけんしつの先生みたいに、やさしくて落ち着いていた。ぼくはつられて、小さな子どもみたいに質問してしまった。
「トラ男、かえってくると思う?」
「うーん」
白玉さんは、あごに手をあててしばらく考えこんでいた。
「そこまでは、わたしにもちょっとわからない」
「そう」
ふくらみかけた希望が、いっしゅんにして小さくしぼんだみたいな気がした。ふたりともだまってしまい、気まずい空気がながれた。まずい。ぼくはひっしで明るい声を出した。
「ねこって話せるわけじゃないしね。こっちがどんだけ心配してるかなんて、わかりっこないよね」
すると下をむいていた白玉さんが頭をあげて、えっというかおでぼくをみた。
「そうかな。話せないから、かいぬしの気持ちがわかっていないとはかぎらないと思うよ」
「そうかな」
「そうだと思う」
白玉さんは、じぶんの意見に、すごく確信があるように何度かうなづいた。
「ねこのほうが、人間より大事なことがわかってるってことも、あると思う」
実はね、と白玉さんが話をつづけた。
「わたしね、ようちえんのとき、将来なにになりたいかってきかれて、いつもねこになりたいって答えてたの」
そういって、おかしそうにクスクスわらった。ぼくはどんなかおをしたらいいのか、わからず、もじもじしてしまった。
「ねこって、すてきな生き物よ。自由でのびのびしてて」
おちばをすてて、手元がすっきりした白玉さんが、ふううと大きくのびをした。のびたうでの上に、雲ひとつない真っ青な空がひろがっているのが、ぼくの視界に入ってきた。このごろ、ぼくはのんびり空をみあげることもなかったな。心配事が心のなかでふくらみすぎて。
かるい足どりでスキップするように歩きながら、白玉さんがいった。
「きっとトラ男くん、かえってくるよ」
ぼくはだまったまま、白玉さんのとなりを歩いた。ちょっとだけ、はげましてもらった気がした。
< 4 >
すいようびは、学校からいちばん早くかえれる日だ。ぼくはおやつを食べてから、トラ男をさがしに行くことにした。じっとまってるだけじゃいけないと思ったからだ。母さんには、もちろんひみつだ。どこをさがすつもりなのかって、根ほり葉ほりきかれるにきまっている。
「ちょっと公園にいってくる」
庭のうえきの水やりをしていた母さんが、手をとめて、
「めずらしいわね。わざわざ行き先をいってから、でかけるなんて」
あやしそうに目をほそめて、ぼくをみた。でももうあとにはひけない。こぶしにギュッと力を入れて、ぼくは玄関にむかった。
自転車でぼくがむかった先は、トラ男をみつけた河原だった。うちから自転車で、三十分はかかる。けっこうはなれている場所だ。どうしてそこにいってみようと思ったのか。りゆうはなかった。ものはためしと思っただけだった。トラ男はずっとうちで育ってきて、外の世界をほとんど知らない。もし知っている場所があるとしたら、自分が小さいころにいた、あの河原しかないんじゃないか。そう思ったのだ。
河原は、みわたすかぎりのススキ野原だった。ススキの穂先の白いぶぶんが、風にゆられて波うつようすは、海ににている。川の水はしずかにながれていた。とおくにみえる野球のグラウンドでは、ユニフォームをきたおとなたちが、れんしゅうをしていた。それが学生なのか、もっと年上の人なのか、ぼくの場所からはみわけがつかなかった。大きな声だけは、こちらまでよくひびいた。
「いいな、ぼくも中学生になったら」
ぼくはサッカーがやりたい、将来はサッカーせんしゅになりたい。来年は四年生になるから。近所のサッカーチームにはいるか、学校のクラブにはいるか、きめようと思っている。友だちの中には、もうサッカーを始めてて、すごく上手な子もいるけど。いいんだ、ぼくはぼくのペースで。
てきとうなところに自転車をとめて、人が何度もふんで草があまり生えていない場所をさがし、そこから川の近くまでおりていった。歩きながら、ぼくは右も左も、みわたせるかぎり目をこらしてみたけど、トラ男のすがたは見当たらなかった。そうだな、いるわけないか。
ぼくはつかれていた。河原にひとりでくるなんて、それもないしょでくるなんて。いつもとちがうことをするってエネルギーをつかう。はじめはひざをかかえてすわっていたけど、草の上にごろんと横になった。もういいや、服がよごれても。
「ニャ…」
小さななき声が、頭のうしろからきこえた気がして、ぼくは目をさました。なんだ、今のは。ぼくはおきあがって、まわりをぐるりとみわたした。草のなかから茶色の大きなかたまりが、目をまんまるにしてこちらをみている。
「トラ男?」
ぼくが立ち上がろうとすると、そのねこはおどろいて、ひくいしせいのまま、あとずさりした。けいかいしている。トラ男かと思ったけど、ちがうねこだ。でもずいぶんとトラ男ににている。毛のもようがそっくりだ。キジトラなんてどこにでもいるからな。
おいで、だいじょうぶ、おいで。ぼくがやさしく声をかけていると、ねこは小声でなきながら、ゆっくりゆっくりとぼくにちかよってきた。やっぱりトラ男じゃない。この子はしっぽが丸いから。けいかいがとけたねこは、ゴロゴロいいながら、ぼくにすりよってきた。なんだ、野良猫なのに、人になれているぞ。
久しぶりにねこにさわった。あたたかくて柔らかい。トラ男もきげんがいいと、こんなだったな。ねこはもっとなでてほしいといわんばかりに、ぼくの足元を行ったり来たりしている。
「ニャアゴ」
草むらのなかから、もう少し図太い、ダミ声がした。まだねこがいるのか。音も立てずにちかよってくる、大きな茶色のかたまりは…。トラ男じゃないか!少しほっそりしてるけど、トラ男にまちがいない。
「トラ男!」
ぼくはおもわず、さけんでしまった。
「ニャアゴ」
トラ男も、まるで返事をするかのように、大きな声でこたえた。トラ男はちかよってくると、もう一匹のねこといっしょに、ぼくのまわりを回った。
「おまえ、なんできゅうに家を出ていったんだ、心配するじゃないか」
トラ男はのどをゴロゴロならしている。ぼくのこと、ちゃんとおぼえてるんだな。おまえ、こんなによごれちゃって。少しほっそりしたんじゃないのか。どうやってこんなとこまできたんだよ。ききたいことは山ほどあったけど、相手はねこだから、こたえられるはずもない。
そのときトラ男のうしろから、なんともう一匹ねこがあらわれたんだ。トラ男によくにた茶色のねこだ。でもすごくやせている。毛がうすくなっていて、みるからに年をとっている。
「ミャア」
声だけは、こねこのようにかわいい。そのねこがなくと、トラ男も、もう一匹のねこも、年よりねこにちかづいて、毛をなめてやったりぐるぐると回ったりした。
「もしかして、トラ男のお母さん?」
年よりねこは、よろよろと歩いて、ぼくに近づいてきた。野良猫なのに、こいつも人がこわくないらしい。ゴロゴロ、ゴロゴロ。ぼくがやさしくなでてやると、うれしそうに目をほそめた。トラ男たち二匹のねこは、すこしはなれた場所にちょこんとすわって、ぼくたちをながめている。
(そうか。トラ男はお母さんにあうために、この河原にもどってたんだな)
そろそろ夕日がしずみそうだ。暗くなるとかえり道がちょっときけんだ。
「トラ男。かえるぞ」
ぼくはトラ男をだき上げた。トラ男は足をだらんと下げて、されるがままだった。トラ男もつかれているようだ。自転車の前かごにのせると、トラ男はなんとかおさまった。
「家につくまで、うごいちゃだめだぞ」
「…」
トラ男はなにもいわないし、なにも抵抗しなかった。ぼくが自転車をこぎ出そうと、ふとみると、年よりねことトラ男のきょうだいねこが、ならんでぼくらをじっとみていた。
「あ」
ぼくはトラ男たちおやこを、むりやりひきはなそうとしているのか。かいぬしだからって、人間だからっていう理由で。トラ男はじぶんで出ていったんだ。もっと母ねこのそばにいたいのかもしれない。この母ねこだって、いつまで生きられるかわからないくらい弱っているし。
まよいはじめると、ぼくはたちまちうごけなくなった。ここにはトラ男のきょうだいもいる。トラ男はこのまま、野良猫にもどりたいのかもしれない。考えているうちに、トラ男をのせたままの自転車の重みが、りょうほうのうでにじわじわときいてきた。ぼくは、トラ男を前かごからおろして、二匹のねこのところにつれていった。
「トラ男。まだここにいていいよ。かえりたくなったら、いつでもかえってこい」
家についたころ、外は真っ暗になっていた。
「ただいま」
「おそかったわねえ。心配してたのよ」
「ごめん、ごめん」
ぼくは、そそくさと部屋にあがった。もうなみだはとまっていたけど、ないたのがバレたくなかったからだ。河原でトラ男をみつけたことは、父さんにも母さんにも話さなかった。
それから三日がすぎた。外は雨がふりつづいている。トラ男がいない生活に、ぼくは少しずつなれはじめている。ぼくは前ほどこわがりじゃなくなった。暗くなってもゆっくりトイレに行けるようになったし、ねるときも、ひとりで部屋に上がれるようになった。トラ男はいっしょにいないけど、河原で家族とくらしてるんだ。そう思うと、ぼくもがんばらなきゃと思えるようになったんだ。
夜おそく、庭でなにかのなき声がした。
「あら」
母さんが、いそいでまどにちかより、カーテンをあけた。そこにはトラ男がいた。びしょぬれのトラ男は、ぼくたちかぞくのかおをみて、
「ニャアゴ」
とないた。
「おかえり」
父さんがちかよって、トラ男の頭をなでてやった。
「さあさあ、からだをあらわなくちゃね」
母さんが台所からエプロンをとってきて、こしにまいた。ぼくはトラ男をもちあげて、ふろばに直行した。
シャワーをあびたトラ男は、ひとまわり小さくなった。ぬれた毛をバスタオルでふいてやると、自分でもペロペロとなめていた。きれいになったトラ男は、ひとしきり家族の一人一人のまわりをぐるぐる回ったあと、いつもの場所にどでんとすわった。それから大きなあくびをした。トラ男にはトラ男の大事なしごとがあったんだな。ぼくは心のなかでそう思った。
布団に入ってから、ぼくは明日のことをかんがえた。白玉さんにだけは、トラ男がかえってきたこと、ほうこくしなくちゃ。白玉さんも、すごくよろこんでくれるだろう。そう思うだけで、ぼくはひとりでにんまりわらった。
この記事が参加している募集
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。サポートしていただけるなら、執筆費用に充てさせていただきます。皆さまの応援が励みになります。宜しくお願いいたします。