牧くんのコンビニ生活#2。(三村さんのお告げ②)
「わたしがもし、牧くんの彼女だったら…」
突然、三村さんが言い出した言葉におどろいて、ぼくは危うくご飯を喉に詰まらせそうになった。
「牧くん、よく聞いて。もしわたしが牧くんの彼女だったらね、一度実家に帰省して、休憩したほうがいいんじゃないって提案すると思う」
三村さんの言葉は、まるで命令しているような響きを伴っていた。すでにラーメンを食べ終え、のんびり寛いでいる笹井の顔をちらっと横目でみると、ぼくと同じようなことを考えているような表情をしていた。
「残念ながら、わたしは牧くんの彼女じゃないし、牧くんには彼女がいない」
そんなにはっきりと宣言しなくてもいいじゃないか。別に彼女がほしくなかったわけじゃなくて、ただ出会いがなかっただけなんだから。ぼくは心の中で講義した。今度は笹井がぼくのほうをちらっと見てきた。(かわいそうに)と思っている視線だった。三村さんの話は、こんな中途半端なところでは終わらない。いつも必ず彼女の目的地まで突き進む。それが彼女の話し方だ。
「だからね、わたしと笹井くんが、牧くんの彼女の代わりとして忠告するとするなら、とにかく一度、実家に戻って、お母さんに相談してみたらどう?このまま一人暮らしを続けていて大丈夫かどうか、お母さんなら見極めがつくと思うから」
よくもまあ、そんな大きな決断を、単なる彼氏の友だちであるぼくに対して突きつけることができるよな。ぼくはまだほんの数口しか食べていない炒飯を前に、箸をおいた。これ以上は食べられない。
「ほら、やっぱり食べられない」
三村さんが確信をもって言い放った。
「身体が食べ物を受け付けなくなりつつあるのよ。もうすっごく危ない状況よ、これは」
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大学の春休みはとても長い。3月初め、ぼくは三村さんのススメで(半分強制で)実家のあるA県へ帰省した。母さんは、ぼくを見るなり三村さんとほぼ同じ反応を示した。
「隼人、ずいぶん疲れてそうだね。しばらく休憩が必要よ」
ああ、そういうことか。ぼくはかなり弱ってたらしい。母さんのご飯と規則正しい生活のおかげで、三週間もするとぼくの体重は元に戻り、夜も以前とあまり変わりなく眠れるようになった。もう心配ないや。春の履修登録が始まる前に、アパートに戻らないと。そう思った。
でもアパートに戻る日が近づくにつれて、気持ちがだんだん落ち着かなくなってきた。ソワソワして何をやっても楽しくない。あんなに好きだった漫画すら読む気にならない。自分が狭い部屋でひとり過ごしていた時の映像が、頭に浮かんだ。大学の授業は、まだしばらくオンラインになりそうだ。
「無理かもしれない」
今度は自分でそう思った。授業はリモートでも受けられるし、ぼくのように実家に戻っている学生も多くいると、ネットの記事でも読んだ。念のためにと心療内科にいってみた。白髪の男の先生は、ぼくの話を目をつぶったまま腕組みをしながら聞いた後、特に心配するでもなく、
「コロナで心身の調子を崩している人は大勢いるよ。自分だけがこうなったと思わない方がいい。ひとまず閉じこもりの生活はやめたほうが無難だね」
といった。「適応障害」という病名がつき、軽い睡眠導入剤をもらった。
「アパート、お金がかかるから一旦解約しましょう。来年以降のことは、またその時に考えよう」
母さんは決断すると動きも早い。引越し業者の見積もりを取り始め、4月の後半には部屋の片付けに出かけることまで計画を立ててしまった。やばい、このままでは実家暮らしに逆戻りだ。ぼくは、腹の底にかすかに残っていたエネルギーの燃えかすみたいなものを、ヘソの下辺りにグググーッとかき集め、渾身の力をふり絞っていった。
「大丈夫だよ、母さん。もう部屋に閉じこもったりしないから。向こうに戻ってから、バイトか何か探してみる」
これはほぼ言い訳だった。やけくそだった。バイトを始める覚悟どころか、実際は、ひとり暮らしをもう一度スタートできるかどうかすら、自分でも判断がつきかねない、不安定な精神状態だったのだ。でも実家に戻るのはいやだった。自分が育った町がきらいなわけでも、家族との関係が悪いわけでもなかったけれど。引きこもりに近い生活が続き、自分が自分のことを檻の中に閉じ込めているような気分になっていたせいかもしれない。実家に戻ったら、自分ではなく家族がつくった檻の中に閉じ込められるのと同じなんじゃないかと、被害的に捉えてしまったのだ。
このままじゃいけないことだけはよく分かったし、薬のおかげで眠れるようにはなった。まずは自分の部屋に帰ろう。そこから一歩ずつ、外に出ていこう。
(つづく)