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書くことで人と関わっていく

完全在宅勤務で一人暮らし。誰かと話す機会は週1ある15分程度のミーティングくらい。
ごくたまに人に会うこともあるけど、月に2~3回あるかないか。会っても短時間がほとんど。

人と話さないことがデフォルトになってしまっている今、Twitter(X)につぶやいたり、こうやって文章を書くことでバランスを取っている。
話す代わりに書くことでバランスが取れているのかはわからない。

ノートに書きまくっていた子ども時代

思い返せば、子どもの頃から書くことによって感情を昇華(&消化)させていた人間だった。

その時の思いつきや、詩、1億あったら何がしたいかみたいな妄想など、家で暇なときはいつもノートに何かを書いていた。
家族や友達に言えない心の内をノートに書く。それだけでも気持ちが晴れるような感覚があったのを覚えている。

書きためた大量のノートは、引っ越すときに全て処分してしまった。
取っておいてたら間違いなく黒歴史の証拠になるやつねw

文章にも満たないような言葉の羅列を書きまくっていたから、今こうして文章を書くことに抵抗がないのかなと思ったりする。

人と関わらなくても生きていけるけど

書くことに能力が傾いたせいか知らんけど、人と話すことに苦手意識がある。
全く話せないわけではないけど、しゃべらなくて済むのであれば黙っていたいタイプだ。

そうなったのは、対面でのコミュニケーションの場数が少ないからというのもある気がしている。
友達も多い方ではなかったし、一人でいることが平気なまま過ごしていたらいつの間にかこうなってたという感じ。

もう30代にもなって、今更この性格や気質を変えようとも思わない。
実際、全然人との関わりが少なくても生きていける。
ただ、メンタル的に生きづらいなとは思う。

書くことをやめない

人と話す機会が少ない上に人間関係が得意ではない私が気を保っていくためには、書くことを続けるのに尽きるのかなと思う。

生活するエネルギーがなくなっているときは、Twitter(X)の140字さえ果てしなく思える。
紙の日記やブログはなおさら腰が重い。

その一方で、文章として気持ちや思考をアウトプットできているときは、メンタルの調子も比較的いい。

ひと月に、ブログとnoteで計10本記事を出すというのを目標にしているのも、頻度よく文章を書けるかどうかが調子のバロメーターになっているからだ。

書いて世に垂れ流すことで、細々とでも誰かと関わっていることになるのであれば、それは私にとって社会性を保つことにつながるのである。


相変わらず根暗でとっ散らかった文章になっちゃったけど、とにかく書くことを楽しみたいなということが言いたかった。

また書きます。

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