「ブドウ畑の村のプロジェクト」(5終) ブドウ畑の村が広場を使い始める瞬間
新年あけましておめでとうございます。今年もウイーンからの記事、お楽しみください。
オーストリアの「地方創生」プロジェクト、最終話です!
5年にわたってオーストリアの小さな田舎で手掛けてきた「ブドウ村のプロジェクト」とうとう地域の人に披露されるグランドオープニングの日。
そんなオープニングの日の様子をここまで読んでくださった方たちにお伝えすることで、ワイン畑の村のプロジェクトのお話の最終回とさせていただきたいと思います。
今までの話1話から4話は1月10日まで無料にて公開いたします。この機会に全編を読んでいただければと思います。第一話はコチラ➡
建築家として、地域づくりに関わる者として、この日を迎えるのは、苦労が実った華々しい日であるけれど、今まで私たちの描いてきたビジョンが地域の人に受け入れられるかどうかの”ジャッジの日”でもある。
建築コンペで勝ったとは言えども、異邦人としてオーストリアの小さな村に乗り込んだ私は、はたして村人に受け入れられたのだろうか。
現場の景色が変わった日ーもう現場じゃないんだ
一時間半早く行ってみると、新しい「村の広場」に、オープニングの机、いすやテントなどが設置され、今まで働いていた私たちや業者の人に代わって、今日からここを使う人たち(村人たち)が忙しく準備をしていた。
道路に代わって新しく作られたこの村の中心である。早速、村のセレモニーの広場として使われる。
道路沿いに発達し、中心を持たなかったこの村が、「村の中心」を持った瞬間である。
コロナ入場者チェックポイントが地元消防隊の協力によって設けられていた。現在、大規模イベントの場合は、こうして接種証明か陰性証明を入場の際厳しくチェックする。慣れていないと、ちょっと物々しい感じ(笑)
小さい地域なのにこのようなことは大変しっかりやっていることに感心した。
思えば、コロナ渦での1年半の現場だった。現場の安全規定の変更などの中、皆、協力してよく頑張ったと思う。感謝しかない。
この景色を見て、ああ、現場は終わり、プロジェクトは施主の手に渡ったんだなと、半分ほっとし、半分子供が巣離れしていくようなチョットさみしい感情がこみあげてくる。
そして村人が、報道陣が、地域の政治家が続々と来はじめた
プロジェクトが完成し、オープニングを迎えると、今度は、いままで現場で慣れていることとは全く異なることに全集中力を使わなければならなくなる。
それは何かというと、「親として子供を社会にお披露目する」役目だ。
そのお披露目の仕方の如何によっては、どれだけ子供がスムーズに社会に受け入れられるかに影響する。
1500人ほどの村なのに、報道陣や州政府からも重要な政治家がやってきていることは、このプロジェクトが、この州の先進的な取り組み例として注目されているということを示している。
それについては今までの記事で書かせていただいたので、お読みいただきたい。
でも私はやはり政治家やジャーナリストよりも、地域のひとの反応が一番気になる。
一番乗りは、地域のおじいちゃんとおばあちゃん。物珍しそうについこの間まで古い倉庫と道路だった場所が、堂々とした村の広場に代わっていることに目を見張っている。そして、笑みがこぼれた。よかった!
二番乗りは、子供を連れたお母さん達。お母さんたちは、この村伝統の民族衣装を着ている。子供たちは、”あっ、新しいベンチがたくさんある!お母さん、見て!”と言って嬉しそうにベンチに駆け寄る。それは、私たちが子供たちのためにデザインしたものの一つ。うれしかった。
この”村の広場”は幼稚園・小学校が最初から隣接していたので、コンセプト・設計段階の私の頭の中にはいつも子供たちが大切なお施主さんの一人だった。
こうして、私は来る人ひとりひとり、どんな反応をしてくれるか、時間が許す限り見続けた。一人一人の笑顔がこぼれるのを見るたび、うれしくて涙が出そうになった。
地域の祝祭を支えるもの
こうして、続々と人が集まったところで、オープニングセレモニーが始まった。そこにいる人は、600人を超えていた。
村長さんが開会を告げると、ブラスバンドが広場の向こうから演奏をしながら歩いてきた。
オーストリアのどの地域にも、いろいろな趣味のクラブの集まりがあり、とくにブラスバンドはそれぞれの地域にとって、歴史があるとともに最も大切な愛されているクラブである。なぜなら、地域のイベントがあるたびに、このブラスバンドによって演奏されるのが常であるから。
現在の日本で多々行われているように、地域の外からノウハウを持ったプロの仕掛け人が来てイベントをしなくても、このようなクラブが健在である限り、地域では定期的に皆が集まるイベントが行われる。
1500人ほどのこの村でも、大小20以上のクラブがあるそうである。
前にも書いたように、こちらも人口減少・高齢化などの問題は起こっているが、それでも地域としての活気を失わないのは、このような任意の趣味の集まりのクラブ活動が大切な核になっていることが大きいと思う。
日本でいう”祭り”と比較できると思うけれど、こちらのクラブ活動は、もっと「緩やかな繋がり」で成り立っているようにも思う。”義務”という言葉が入ってきたとたん、嫌がる”自由を愛するヨーロッパ人”のお国柄も影響している。こうした無理のない慣習が、何百年にわたって長続きする要因なのかもしれない。
そして、今度は反対のほうから別のブラスバンドが演奏をしながら進んできた。それを見たとき、感動で胸がいっぱいになった。なぜなら、この企画をした村長さんの意図が伝わってきたから。
このブラスバンドは隣の村から来ていた。
私たちは国境の村ーいろいろな民族が一緒に住んでいる”多様性の村”
この地域のブラスバンドと隣の地域のブラスバンドが両側から進んできて私たちの設計した広場で会い、そして一緒に演奏する。
これほどの素敵な広場の使い方があるのだろうかと思った。
感動で涙が出そうになった。
みんなが出会う場所を作りたいと始まったこのプロジェクト。それが完成した時、村長さんはそのビジョンを村人にしっかりと伝えるためこのような企画を考えたのだと思った。
演奏をする人たちも、それを見守る村の人も、
誇らしげで、嬉しそうだった。
オーストリアで新しい建物などが竣工するときは、地域の教会の牧師さんに来てもらい”祝福”の儀式をしてもらう。このあたりは、大切な工事の節目に神主さんに来ていただく日本とちょっと似ている。
牧師さんの最後の言葉がとても印象に残った。
この地域の歴史を作ってきたアイデンティティーは「国境の村」
そして、未来を一緒に作るのもこの多様性。
その中心となる場所を作らせてもらった私たちは本当に幸せ者だ。
そして、こんな素敵な言葉を投げかけてくれた牧師さんはポーランド人だった。
プロジェクトが受け入れられた
セレモニーの後、村人は広場でお祭り。この日、村人にタウンオフィス(役場)とタウンホールの内部が開放されるオープンハウスとなった。
私たちを含む関係者は、タウンホールのなかで食事となった。
食事をしていると、オープンハウスで村人がタウンホールの内部を見に続々と入ってきた。
私は食事そっちのけで、タウンホール上部のギャラリーを見続けていた。
タウンホールの上のギャラリーを楽しそうに歩く、おじいちゃんやおばあちゃんやお父さんやお母さんや子供たち。
実は、このギャラリーも予算の関係で採用が危なくなった時があった。
こんな天井の高い大きなホール、構造も大変だし、お金もかかる。こんな小さい地域に必要あるの?
第一、ギャラリーには何の重要な機能があるの?
なくてもよくない?
という議論だった。
空間の質の大切さ。
上を見上げる。そして下を見下ろすことのワクワクさ。体験。
そして、最後は、シンプルになるべく費用が掛からない構造・マテリアル・ディテールを工夫して施主を説得した。
今、老若男女がここを目を輝かせて通っている。子供がギャラリーから下を見下ろし、知っている人を見つけると嬉しそうに手を振る。そして大人も同じ。
彼らが後ろを向くと、今度は窓を通して、ワイン畑の雄大な景色が広がっていることに気づく。みんな、しばらくそれに見入っている。お父さんやお母さんが子供にこう伝える。
そう、これが、私たちがプロジェクトを通してこの地域の人にプレゼントしたかったことのひとつ。素晴らしい景色を彼らのタウンホールから見ること。
最初に敷地に立った時、この素晴らしい景色に感動した。この感動を味わうことのできる「仕掛け」を持った建物を作りたいと思った。
すると、ずっとこのプロジェクトを一緒にしてきてくれた現場監督さんがこういった。
そう、そうなのだ!それを、発見してチョットした仕掛けを用意してあげるのが、私たちの大切な役目なのだ。
日本もそうなのだけど、田舎は都市が持っていない素晴らしいものがたくさんある。でもそこに住んでいると気が付かない。「ここには何もない」と多くの人が言う。
時には、よそ者の私たちのほうがそれを発見しやすい。素晴らしいものを、新しく作る必要なんてない。だって、それは気が付かないだけで、すでにどんな地域にもあるのだから。
おばあちゃんの記憶
会場で、80歳ほどの知らないおばあちゃんと目が合った。おばあちゃんは、にっこりと私に笑いかけてきた。
それがうれしくて、私はおばあちゃんのところへ駆け寄った。
するとおばあちゃんがこう言った。
何を言っているのだろう…???と思った。そして、
記憶がよみがえってきた。
4年前、最初の敷地調査をしたとき、この場所には古い家と納屋があった。おばあちゃんはその持ち主だった。
そのあと、自治体が土地ごとおばあちゃんから買い取って今回のプロジェクトの敷地が大きくなった。
おばあちゃんの住んでいた建物は状態が悪くて残念ながら残すことが出来なかった。
そこに住んでいたおばあちゃんがホームに引っ越したので、もう長く使っていない納屋で、いろいろなものが詰め込まれていた。
そのなかに、昔のカマドがあった。私は、それが珍しく、とても気に入って、おばあちゃんに「これぜひ私が欲しいです!」といったのだ。
結局、おばあちゃんの家の古いものは、自治体による競売でほしい人の手に渡ったと村長さんから聞いていた。いい人が持っていてくれるといい。
私は「欲しかったけど、その前にほかの欲しい人の手に渡っちゃいました。」と答えながら、またまた胸が熱くなった。
自分の昔の家に、建築家を名乗る人たちがウイーンからやってきて、しかもそのうちの一人がアジア人。そのアジア人が発した一言を4年たった今も、おばあちゃんは覚えていてくれたのだ。
あまりに、思いがけない、うれしい再会だった。
私は、おばあちゃんに言った。
そしたら、こんな言葉が返ってきた。
おばあちゃん、おばあちゃんの家は残せなかったけど、
おばあちゃんの家から見えたあの素敵な景色は残したんだよ。
上のギャラリーから、ぜひ景色を見てみて。
そのあと、おばあちゃんは、お孫さんに助けられてギャラリーに上がってくれた。
記憶を残す。
建物がたとえ残せなかったとしても、
これは私たちが最低限するべきことだと思う。
私のこの村でのアイデンティティー
かくして、”究極のよそ者”の私が、オーストリアのブドウ畑の村で5年間をかけて携わったプロジェクトが完成した。
果たして、私は受け入れられたのだろうか。この村でのちっちゃなアイデンティティーというものは確率出来たのだろうか。
という問いかけの回答の一つは
こうして、おばあちゃんが私を覚えていてくれた、ということ。そして、
最初のワークショップに参加してくれた村院議員の女性に会った。彼女は”未来のこの地域のために新しい一歩を進もう”という村長さんの言葉に真っ先に賛同してくれたひとり。
彼女はこう言ってくれた。
私たちの村の未来のために素敵なものを作ってくれてありがとう!
この建物は新しいけど、ここには、「私たちの村の魂」があるのがわかる。
そんな建物や広場を作ってくれてありがとう。
建築家があなたたちでよかった。
今、私たちは、彼らに少しだけ受け入れられたのだ、と思った。
プロジェクトの本当の意味
オープニングセレモニーで村長さんはとても素敵なアレンジを計画してくれた。
それは、幼稚園と小学校の子供たちのパフォーマンス。
「広場を将来使うことになる主人公たち」だ。村人たちからたくさんの笑顔がこぼれた。
村長さんはオープニング・セレモニーの最後にこう言った。
そう、未来につないでゆく。これが私たちが村長さんと5年かけて目指してきたものだと思った。
プロジェクトは終わりじゃない、これからが始まり
建物や広場は仕上がったけれど、私たちはここでまだプロジェクトに関わっている。
ここに、村内外のスタートアップが集まるハブをつくろうという計画のサポートをさせてもらっている。もう一つの村の未来を作る。
日本では今や地域創生の主要な言語となっているスタートアップハブやコワーキング、IターンやUターン、そして関係人口。
この南ブーゲンランドの田舎では、まだそんな話を村人にしても、
という感じなので、村長さんとじっくり実行に移している。
これも波乱万丈の予感がするが、自分たちの設計したプロジェクトのその後と関わっていけるのはとても責任ある、そして幸せなことだと思っている。
我が子の成長の報告をまた楽しみにしていてほしい!(終)
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いままで、お読みいただきありがとうございました!また、スキやコメントもいただき、とても励みになります。これからも、オーストリアより様々な発信をしていきます。お楽しみに!
「地域」の未来のことを真剣に考えている方は日本にも本当にたくさんいらっしゃり、私自身も情報交換をさせていただいたり、講演やワークショップをさせていただいています。なにか、お手伝いできることがあれば、お声をかけてください。
では、また次回の投稿にてお会いしましょう! ウィーンより
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