大槻ケンヂさんが好きなだけの話
高校生の頃、一部界隈で『斜に構えること』が流行っていた。
自分は物事を俯瞰している、他の人とは違う視点がある、と背伸びしたくてしょうがなかったのだろう。
当時は無知を極めていたので、「斜に構えるってどういう意味…?」とその界隈近辺に聞いていた。そんな私が最近「斜構」を痛感している。矢印を向けられる対象になったりすることもあれば、うあ、今私斜に構えてるな、、と自責の念に駆られたりすることもある。今回のノートは私の『好き』をただ振りまくだけのものなので、「同年代の人とは違うものを好きな自分が好きなだけだろ…」と斜に構えることなく読んでほしいです。多少のナルシズムは無視して、やさしく、やさしくね
夏が近づくと大槻ケンヂさんを渇望する自分がいる。ミュージシャンとしても作家としても、様々な作品を世に放っている大槻さん。彼の創る作品は総てに敬意を払えるが、著書『ロッキン・ホース・バレリーナ』はこの世のコンテンツの中でも随一を誇る作品だと思う。
『ロッキン・ホース・バレリーナ』のあらすじを大まかに説明する。
『ロッキン・ホース・バレリーナ』を初めて読んだのは、確か中学1年生頃だった気がする。家族で米沢市あたりに出かけた時に立ち寄った古本屋で、父がこの本を勧めてくれた。そこからは、作品に取り憑かれ、人生のバイブルと思えるほど魅了された。毎年の読書感想文は必ずこの本で書いていた。
まず何が秀逸かというと、この本の書き出しだ。
『十八歳で夏でバカだった』
そんな文章から始まる。いや天才だろ…
『吾輩は猫である、名前はまだ無い。』
『メロスは激怒した』
と並ぶ書き出しだと思っている。この始まりをこよなく愛しているから、私は夏にオーケンを望むのだろう。脳天を突き刺す、湿度の高い一文に私は「くらって」いた。
この本を読んでから、自分の18歳の夏はどんなものになるのかな、と楽しみで楽しみで仕方なかった。驚くほどコンスタントに思い出が顔を出す濃い夏になるのかな…と莫大な夢の培養器になった。
実際、私の18歳の夏はバカ!
この先のこととか、受験のことなんかは関係なしに、手探りで見つけたアイドルオーディションに家族に黙って応募した。少し(いやかなり)お母さんと喧嘩しながらも、大槻ケンヂさんの書く主人公・耕助の如く夏の暑さに好奇心をかき乱され、遠く遠く進んだ。
これは、先程『ロッキン・ホース・バレリーナ』が人生のバイブルと書いた文章を体現するエピソードのひとつである。
私が心奪われたのは、書き出しだけではない。
作品のヒロイン・七曲町子というキャラクターだ。ゴシックロリータで武装する不思議な少女だが、なんとも愛らしい性格をしている。その反面、壮絶な過去を持っており、物語に劇的な展開をもたらす人物。実はこの"七曲町子"は偽名で、作中ではワケがあって本名を伏せている。
彼女のゴシックロリータと、常に履いているロッキンホースバレリーナが心底好きだ。ゆらゆら揺れるロッキンホースバレリーナを寵愛しすぎて苦しくなる。
この靴でつま先立ちしている間は本当のことを話せる、という七曲町子が愛おしい。
私もつま先立ちで揺れてみたくて、お年玉だとかお小遣いだとかを血眼で貯めて、ロッキンホースバレリーナを買ってみた。私は以外に足が小さいみたいで、ゆらゆら揺れるどころか履き鳴らすことすらできなかったけど…
ファッションと音楽はこの本に習ったと言っても過言ではない。本当は私もライダースとロッキンホースで街に出たい。自分の顔の系統や雰囲気、身体の造形を踏まえると柔らかい素材で白ベースの、ある程度ガーリーな服が似合うからライダースは年に1度くらいしか着ないけど、せめてもの抵抗でラバーソールを履いている。
こうして、私を構成する様々な要素を大槻ケンヂさんが創っている。今年の夏も、アンダーグラウンドの世界へつれていってくれるのだろう。ひと針刺して穴を開ければ飽和するようなそんな夏になればいい。
夏は君と過ごしたいんだよな。その姿でしか、その場所でしか上手く生きられないから、私は君と居たい。去年は一緒じゃ無かったね。今年は一心同体だよ。
ありのままじゃなくても、多少のフィクションがあっても、君は君だ。どこでいつ生まれたかとか、本当の名前とか、どうでもいいね
あの物語のヒロインが、本当の名前を知らなくても輝くようにいつだって磨けば光る君で居て欲しい。何度も甦って生き直してしまおうね。
なんていいつつ、またも斜に構えちゃいそうだからこの辺で終わりにします!充電が10%しかないよ( ; ; )
大学はあと2コマ、、、そしてぼっち学食なのでみんなとTwitterでコミュニケーションとる事しか楽しくない。何とか耐えきって私のiPhone。
ちなみにサムネは目玉焼きが主役のとても美味しそうなカレーです🍛私が作った、えらい
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?