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知れば知るほど面白い「集団と個人」の関係

集団が個人に及ぼす影響について学生の頃から興味がある。「人前でなんで緊張を見せず堂々と話せるんだろう」「このグループなら話せるけど、こっちではちょっと…」とか色々経験したことがある人は多いと思う。

人が集まることとは何か

HUCのなつみっくすさん講師のCMO講座、先日2回目が終わった。ここでは、自分がどんなコミュニティを作りたいかということを明確にすることが1つの目的。そこで、グループとチームの違い、チームとコミュニティの違いについて教えてもらった。

グループ:同質性の高い集まり。他律、同調しやすい。
※試行錯誤をしながらミスしてもチャレンジできる成功体験の積み重ね(心理的安全性という土壌)によって、カオスから調和を経る
チーム:目的・ルール・共通言語がある。自律、多様性のある集まり。共通したゴールに向けて向かっていく(Do)。
コミュニティ:居場所としての役割(Be)。この中にチームが出来てくる。

これを聞いて思ったのは、幼少期から【グループ→カオス→チーム】という過程を体験して生きているのではないかということ。幼稚園や保育園、近所の児と仲良くなってグループを作り(自然に作られる)、喧嘩も含めて一緒に遊んだり過ごしながらカオスのフェーズを乗り越える。その体験から部活とかサークル、仕事などで仲間と共通目標に向けて取り組んでいく。こういう「体験」を自分たちはしてきているのかなと思った。感覚的にすごく理解できるものだった。

一方で、もう1つ思い出したこともある。社会心理学で集団と個人について学んだが、そこでも色々と定義がなされている。引っ張り出してきた教科書に載っていた一例(池上・遠藤 1998 グラフィック社会心理学 サイエンス社)。

集合:単なる人の集まり
集団:何らかの相互依存関係、相互影響過程が存在するもの

「群衆」という表現もあることも思い出していたんだけれど、グループサイズ、存続期間、活動範囲の広さ、共通目標の内容などの違いから、いろんな「集団」が存在する。だから、上記のグループ、チーム、コミュニティの違いが説明できるのだと思う。

社会的アイデンティティ理論、自己カテゴリー化理論(懐かしい響きだ…)で扱われる「集団」について、Turnerは、同じ社会的カテゴリー(たとえば日本人、●●市民とか)に属する人の集まりで、集団成員性(その集団のメンバーだという感覚)の認識はあっても成員間の直接的なやりとりや集団の目標は前提とされていないとしている。

こんな集団もあれば、反対に、集団成員性の認識が曖昧でも、同じ場所と時間を共有し、同じ活動を行う特異的な集合体が存在するとも言われている。たとえば、コワーキングスペースに居る人たちとか?実生活の例をもう少し考えてみないとなあ。

集団に求めているもの

人は集団に対して、同一視する欲求と、他者との違いを求める欲求を持っている(Brewerの最適弁別性理論)。

共通点が多く類似性の高い集団に所属して帰属意識を持てば、集団にいるメンバーと同一視する欲求は満たされる。同時に、脱個性化を引き起こしてしまい、他者との違いを求めようとする。

今度は、内集団と外集団を比べて集団間の違いを探そうとする。そこで、自分は他とは異なる集団に所属している感覚を得て、他者との違いを求める欲求を満たす。これらの2つの欲求を同時に満たすような集団サイズだった時に、満足度が最大となる集団はある。

これを読んでいて思ったのは、だから人はいろんな集団(グループ、チーム、コミュニティ)に所属している、所属しようとするのかもしれないということ。たとえば、職場では脱個性化してしまいやすいから、他者との違いを求めて習い事の教室に通ってみるとか?


自分は今、いろんな「コミュニティ」に参加しているけれど、その理由は、他者との違いを求めているほうがより強いかもしれない。でも、問題意識が近いと安心して自分の考えを伝えられる。


まとまっていないし考えの整理目的なので参考にはしないでほしいけれど(きちんと調べる過程がまた面白い)、久しぶりに社会心理学の振り返りができてめっちゃ楽しかった。やっぱり好きな学問だな。CMO講座をきっかけに別のインプットを行う機会を得られてよかった。なつみっくすさん、ありがとうございます!次の講座で自分の創りたいコミュニティを発表するが、さて、どうしようかな。

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