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遠い記憶 二十一話

私は、中学三年生になった。
その頃になると、私が率先して母に指示をする様になった。
母も、意外に的を得てるので、私の言う事を、聞く様になった。

父の、仕事の事を聞くと、
父は、丁寧な仕事をする大工だと言う。
だから、仕事の依頼は、来ていた。
ただ、お酒が入ると、人が変わった様になる。
お酒さえ、入らなければ、生活は出来たはずだ。

そんな時、酒で仕事に行かない、父を見かねて、
父の兄の叔父さんに、説教をして貰おうと、実家に助けを求めた。

叔父さんは、渋々であったが、我が家まで来てくれた。
そこへ、父が帰る。
叔父さんが、声を掛けるや否や、父は、直ぐに、
家を出て行った。
話に成らない。

叔父さんは、帰ると言う。
駅まで、見送りに出たが、
私は、納得行かない。
叔父さん、まだ、一言も喋っとらんが~と、
そこへ、母、私を制止する。

薄暗い、駅のホームの上で、叔父さんが言う。
あきこさん、どげんしても、よか。
別れたきゃ、別れても、よか。
あんたの、好きにすれば、よか。
俺達は、何にも、言わん。と言った。

それは、父の事も見捨てた言葉でもあった。
また、何も言わんと言う事は、何もしないと言う事と同じであった。
女、子供の扶養の責務は、負わないと言う事でもあった。
又、父の家は、古くから、土地が沢山あった。
それも、一切渡さないと言う事であった。
当時、中学生の私でも、理解が出来た。
別れてよかって、言いながら、どうやって、別れろと言うのか?
裸で、どうやって、別れろと言うのだ、
その、叔父さんの言葉は、何て冷たい言葉だろうか?と思った。

暫くして、母と話をした。
お母さん、貧乏を取ろう。
お父さんと居て、後、何年したら、酒乱が治るって見込みがある?
無いが~。
今、私が中学三年や、後、三年したら、高校卒業や。
弟は、今、小学六年生や、後、三年したら、中学三年や、もう三年したら
弟も、高校卒業出来るやん。
合わせて、六年や、六年だけ貧乏取ろう?
そしたら、みんな、社会出れるやあん。
お母さん見て、手もあるよ、足もあるよ。
働こう、働けば、何とかなる。
六年だけ、貧乏取ろう。
そっちの方が、先がはっきりしとるが~!
母は、うんと、首を縦に降った。
お母さん、いい?
離婚の紙、何時でもいいから、手元に持って来てと。

それから、暫くして、父の腕をかい。
父に大きな仕事の依頼が来た。
木造建築の、本屋御殿だ。
一生掛けて、出来る仕事でも無かった。
父が、棟梁だ。
父は、それを、請け負った。

時が過ぎ、寒くなった頃の夜。
私は、おこたで、受験勉強をしていた。
そこへ、お酒飲んで帰って来た父。
珍しく、私の目の前に座る。

私は、少し間を取り、ゆっくりと、
父に、語る様に、話賭けた。

一歩間違えたら、包丁振り回すかも知れない。
しかし、
意外に、私は冷静だった。
もう、怖い物は無い。
一度、死んだ身だから。

お父さん、そげん、毎晩、毎晩飲まんと、いかんのかね~
父は、おおうと言う。

お父さん、そげん、お母さんが嫌かね~
父は、おおうと言う。

そうかね~
そげん、のさんかったら、別れたらどうやのん。

お父さんは、まだ若い、もっと、よか人を見つけたらよかがね。

父は、又、おおうと言う。
その、父の言う言葉を、確認すると、

傍に居た、母に、目で出せと合図する。
母は、私の目の合図に合わせて、はいと言いながら、
離婚の紙を、テーブルの上に出す。

父は、一瞬顔が、引きつる。
まさか、こんなのが、用意されているとは、思っていなかっただろう。
私は、静かに、自分の筆箱から、ボールペンを取り出す。
その、ボールペンの芯を出す。
夜中の静かな部屋に、カチッと、音が響いた。

そして、その離婚用紙の上に、ペンを置く。
一呼吸して、言った。
どうぞと、

肝の、座り切った私の、誘導で書くしか無かった。
父は、ペンを持った。

酒で酔ってはいたが、そんなのどうでもいい。
本人の、実筆であればいいのだ。

私は、筆を動かす父の手先から、目を離さなかった。
自分の、名前は書いた。がその後、親権の欄に弟の名前を書きかけた。

ちょっと、待って、お父さん。
私達は、自分の意思で、お母さんの方に行きたいから、
こっちに、書いてくれる?
弟も、一緒、兄妹までも、離さんといて。
二人とも、こっちに書いてくれる?と、

渋い顔であったが、書いた。
それを、確認すると、私は、母に、印鑑と言って母を促す。
母は、慌てた様に、印鑑を出す。
私は、最後は印鑑ねと言い父を促す。
父は、苦い顔をしながら、印を押す。

印鑑を、押すと出来上がりだ。
私は、父に向って、有難う御座います。と言って、
頭を下げた。

そこへ、父、何が、女と子供で食って行けるかと怒鳴る。
私は、はい、これでお父さんには、迷惑は、お掛けしません。

死ぬ時は、何処か、お父さんの知らない所で、
野垂れ死に、しますので、お父さんにはご迷惑、お掛け致しませんから
と、言った。

その夜、
それぞれ、布団に入ったが、どうしよう。
離婚用紙までは、書いたが、離婚する夫婦が、同じ屋根の下に居るのも
可笑しな話だ。
どうやって、出たらいいやら、
また、第三者の印もいる。
誰に頼もう、誰にも頼めない。
父が、逆上したら、大変な事になる。
布団の中で、私は、神様~どげんしたら、よかとですか~と、叫ぶ。

その時、ゴソゴソと、父が
何!包丁か?と、布団の中から、父の様子を伺う。

すると、ヨタヨタと、トイレに起きた。
トイレは、外にある。

トイレに立って、直ぐの事、父のお腹に巻いてあった。
腹巻の中から、お札の厚い束が、ボトッと、鈍い音。
それは、大きな仕事を仕上げたばかりの、売り上げだった。

母も、それを、見ていた、父が外へ出た瞬間母は、小走りに
その父の落とした、札束を自分の懐に抱え、布団の中へ。

もし、この世に、神様か、守護霊か、ご先祖か、知らないが、
居るのであれば、
あの時は、ほら、これで逃げろ。と、言われた様な、
いかにも、出来すぎなくらい、出来すぎた、話だった。


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