フォロワー1人のインフルエンサー【#2000字のドラマ】
「リンもそれがいい!」
小さな人差し指が、私の皿の上を指している。
載っているのは、食べかけの食パンだ。
「これママの分だよ。リンはもう食べたでしょ?」
「やだ。それ食べたい」
もう3回も同じやり取りを繰り返していて、私の朝食はどんどん欠けていく。
リンが2歳を過ぎてよく喋るようになってからというもの、私は自分の割当を、満足に消化したことがない。
「パパのをあげるよ」
「やだ。ママのがいい!」
ハルトが自分のパンをちぎって差し出したけれど、リンは見向きもせず、ますます私のパンに執着してしまった。
「わかったよ。はい」
既にちぎりまくったパンを更にちぎって、リンの皿にぽいと置いた。
リンは「ありがと」と言って美味しそうにそれを食べた。
「どうしてパパのじゃダメなのかな?同じパンなのに」
私の問いに、ハルトは笑って答える。
「ママのほうが良いものに見えるんだよ。ほら、ママはリンにとってのインフルエンサーだからさ」
インフルエンサー、か。
ハルトと結婚したのは20歳のとき。
おなかにはリンがいて、私はたいした社会経験もないまま、突然母親になった。
職業、一応、インフルエンサー。
1万人を超えるフォロワーを抱えて、それなりにキラキラした生活を送っていた。
妊娠は、そんな生活の中の、青天の霹靂でもあった。
ママインフルエンサーなんて、いいんじゃない?
妊娠中、軽く考えていた私をせせら笑うかのように、出産後は毎日が戸惑いの連続で。
授乳やおむつ替え、怒涛の夜泣き。
食事の補助、トイレトレーニング、イヤイヤ期。
成長するたびに、すぐに次の課題がやってくる。
そうしているうちにSNSのことなんてすっかり忘れて、生活に追われた、疲れた私ができあがっていたのだ。
アカウントだけは残っていた。
けれど、半年前に消してしまった。
ときどきふと画面を開くと、そこには当時意識していた同業者達の眩しい投稿が山のようにあって、胸が苦しくなった。
本当ならば、この投稿は、私がするはずだったのにな。
そんな妄想と現実との落差に耐えかねて、アカウントごと消してしまったのだ。
私の1万人のフォロワーは、ワンクリックで消え去った。
「リン、ママのこと大好きだもんな?」
ハルトがリンを優しく見つめて言う。
「うん!大好き!」
「ママもリンのこと大好きよ」
だけど、私はこの生活を愛している。
絶対的に離れないフォロワーが1人、ここにいるから。
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