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因島は囲碁の島!

囲碁について、皆さんはどの程度知識がありますか?
簡単に言うと、白と黒の碁石を使う陣取りゲームみたいなものです。
正直、対局中は地味に映りますし、めちゃくちゃかっこいいスターがいるわけでは無いです。
なので、名前だけ何となく知っている人が多数なのではないかと思っています。
そんな囲碁は、因島では市技として大切にされていまして、今回はそこにフォーカスしてみます。


歴史上最強棋士、本因坊秀策

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なぜ、因島が囲碁の島として知られているのか。
これは本因坊秀策(ほんいんぼうしゅうさく)という、ハチャメチャに強かった棋士の出身が因島だったことに由来します。
本因坊秀策は文政12年(1829年)に因島で生まれ、34歳という若さで他界しました。
死因はコレラ感染だそうで、当時江戸で大流行した際に、周りの制止を振り払ってコレラ患者の看病に当たり、自身も病気になったようです。
かなりの人格者ですね。


御城碁において12年間連勝

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そんな本因坊秀策ですが、彼が最強と言われる記録に、御城碁(おしろご)にて12年間連勝(21歳で御城碁初出仕から病に伏すまでの12年間)というものがあります。
その勝利数は19!
御城碁とは、幕末まで230年ほど続いた、年に一度、徳川将軍の前にて行われる対局です。
江戸時代に徳川将軍の御前にて対局するというのは、かなりのプレッシャーがあったと思いますが、そこで生涯勝ち続けているということで、どれだけ強いかがわかります。
本因坊秀策の棋譜(対局の記録のようなもの)は400局ほどあり、現在まで多くのプロ棋士が学んでいます。


ようこそ進藤ヒカルくん!

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ジャンプマンガ『ヒカルの碁』は僕の世代だと知っている人は多いと思います。
主人公の進藤ヒカルに取り憑いた、天才棋士である藤原佐為。
その藤原佐為がヒカルの前に取り憑いたのが、幼名虎次郎こと本因坊秀策だとして、物語に現れてきます。
アニメ『ヒカルの碁』はブームになっていたようですが、残念ながら私は見たことがないのです(笑)
そんな主人公の進藤ヒカルですが、あることがきっかけで作中で因島に訪れています。
訪れた場所の一つが本因坊秀策囲碁記念館です。

記念館の近くに友達が住んでいたので、小学校の頃はよく目の前を通っていました。
もしかしたら、有名ジャンプ作家とすれ違っていたかもですね。
そんな『ヒカルの碁』は、マンガでありながら当然のように学校の図書館に置いてあるので、当時は物珍しさがありました。
(今では学校にマンガが置いてあるのは普通なのでしょうか?)


私が感じた因島の囲碁要素

さて、最強棋士本因坊秀策の影響で囲碁の島となったわけですが、どういうところに現れているか、思い出を含めた紹介をします。

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この画像。
よく見ると石板に碁盤を模した彫があります。
こちら、なんと公園に置いてある石机なんですね。
ちゃんと碁石を置く用の台(右側に白色と黒色で写っている筒のようなもの)もあります。
因みに碁石は置いてありません(笑)
そんな細かいものは無くなってしまいますしね。
結構凝っていると思います。
なお、私自身は、この机でデュエルしてました。。。

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この公園の周りはゲートボール場でもあり、おじいちゃんおばあちゃんがよくゲートボール大会をしていました。

さて、思い出を含めた紹介としましたが、なぜ思い出と言っているかと言いますと、実はこの公園もう無いのです(笑)
隣にあった池も埋め立てられ、こども園となってしまいました。

子供のころに当たり前のようにそこにあった囲碁要素を、ここに備忘録として残します。


私と囲碁

現在は正直わからないのですが、私が小学生の時には囲碁クラブが存在し、私も通っていました。
通い始めたきっかけは全然思い出せなくて、おそらくなんとなく身近にあった囲碁に魅かれたのではないでしょうか。
中学時代は碁盤が廊下に置いてあり、たまーに友達と対局していました。
高校に行ってからは囲碁に触れることが少なくなってしまいましたので、囲碁は私にとっては小中学生時代の懐かしさがあります。
そして小学生らしいかわいい恋心の思い出も(笑)
機会があれば対面で一局したいものです。

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