見出し画像

お菓子巡りのおせったい

大体毎年5月の頭頃、私の故郷である因島(いんのしま)に住む子供たちは、一円玉や五円玉を大量に持って、普段は無人の札所に向かいます。
そこには地域住民の高齢の方が数名居て、小皿にお菓子をたくさん分け揃えています。
子供たちはお賽銭を入れ、自分が気に入ったお菓子の乗った小皿を選びます。
そして選んだお菓子をもらうと、次の札所を目指すのです。

今回は子供にとってはうれしいイベント、「おせったい」について紹介します。


おせったいとは

冒頭は子供目線でおせったいについて書きましたが、端的に言えば、地域住民が札所を参拝し、お菓子を受け取ることのできるイベントと言っても差支えはないでしょう。
またの名を「遍路(へんろ)」とも呼んでいました。

察しのいい方ならわかると思いますが、四国八十八ヶ所霊場を巡礼するお遍路が由来です。
ここで、元ネタを少し紹介します。

古来、四国は国の中心地から遠く離れた地であり、様々な修行の場でありました。
讃岐でご生誕されたお大師さま(弘法大師・空海)もたびたびこの地でご修行をされ、八十八ヶ所の寺院などを選び四国八十八ヶ所霊場を開創されたと伝えられております。
そのお大師さまの御跡である八十八ヶ所霊場を巡礼することが遍路です。

この遍路にて、茶菓子や食事などをふるまったり、宿を提供したりする風習を御接待(おせったい)と言います。

因島のおせったいも修行者が八十八ヶ所の札所を回ります。
そして八十八ヶ所の札所は、山の奥の方や込み入った道の先など、普段なら絶対行かないであろう場所にあったり、昔からの家が立ち並ぶ中にポツンとあったりと、色々なところにあります。


なぜ因島に遍路が?

画像1

近いとはいえ、四国の遍路の風習が瀬戸内海の島にあるのは不思議ですね。
実はこちら、ちょっとした伝説があるようでした。

昔、尾道に住む漁師が四国へ漁に出た帰りに一人の旅僧から便乗を頼まれました。
漁師は快く舟に乗せ、因島の浜辺へ降ろしました。
旅僧は厚く礼を言って上陸しました。
漁師が振り返ると、一人だけ乗せたはずである旅僧がみるみるうちに増え、八十八人の僧が次々と上陸して行きました。
この話は人から人へと伝えられていくうちに、弘法大師が因島へ渡られたのだという噂が広まりました。
その後も奇跡的な事が度々あったので、明治45年因島の全村が話し合い島四国として、因島八十八ヶ所の札所を設けることになりました。

この伝説から現在のおせったいに繋がるようです。

因みに、このおせったいの風習は、隣の島々(向島、岩子島)にもあるようで、広く見ると大分県でも行われているそうです。
各々が独立したおせったいの風習なので、どうして地域に根付いたか考えると、なかなか面白いですね。


おせったいガチ勢?の攻略

子供のころはその様な歴史や風習は関係ありません。
どれだけ多くのお菓子が手に入るかが全てです(笑)

毎年のことなので、どこに行けばお菓子がもらえる、ここのお菓子は豪華だ、こっちは果物がもらえる等々、情報はしっかり持っています。
これらの情報とどのルートで行くのが最善かを考えて、大きな袋を引っさげながら巡ります。

ただ、この八十八ヶ所の札所は因島の上から下まで全土に及ぶので、全てを一日で回りきるのは不可能です。
昔の記憶ですが、確かおせったいは二日間行われるはずなので、今日はこのエリア、明日は向こうのエリアと分けて行くのが賢明ですね。

私は賢明な子供ではなかったので、一日で最大限巡り、次の日には燃え尽きてしまっていました(笑)


今回のおせったいは、田舎ならではな風習だと思います。
このような、地域ごとに色のある風習はこれからも大切にしていきたいものです。

公式サイトはこちら ⇒ https://kanko-innoshima.jp/archives/11424

#瀬戸内海 #因島 #尾道 #しまなみ海道 #広島県 #地元 #おせったい #遍路



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?