台風19号で被災した長野の千曲川へ
急速に発達し日本列島に直撃した台風19号。
今回、長野で1番被害の大きかった千曲川決壊地点の長野市の長沼へ災害支援の為に向かいました。
任務は被害現場の復旧作業と被災現場の記録。
カメラはα7III
防塵防滴が不安なので養生テープでぐるぐるにしました。
(防塵防滴に強いカメラが欲しい)
この夏から秋にかけての時期の台風は冷たい風と太平洋の湿った温かい空気がぶつかり大雨が発生しやすくなります。
今回決壊した千曲川は奥秩父、八ヶ岳、北アルプス、浅間山など…広範囲の地域の水が集まる川。
そして、長野と新潟の県境で川幅が急激に細く水が流れにくくなり、千曲川はバスタブのように水が溜まってしまいます。
NHKの記事がわかりやすくまとまっています。
決壊地点の航空写真
決壊した場所には新幹線車両基地、リンゴ畑、キノコ栽培施設、住宅街など。泥水が全てを呑み込んでしまいました。
千曲川の堤防が決壊した箇所は、長沼体育館のすぐ近くの場所です。
この深緑色の箇所はほとんどリンゴ畑です。近くの国道はアップルラインと呼ばれており、リンゴ農家の直営店もあります。
国土地理院も今回の災害状況を航空写真で比較公開しています。
上空から見ると決壊たときの川の流れがわかります。
神社の木々が後ろに広がる家々を守り、周りのリンゴの木は押し流されました。
被災地の現地の状況
同時期にボランティア活動をされていた農業企画の細越様の記事をnoteで見かけました。ボランティアへ行きたい人への情報やリンゴ農家の現状などがまとまっていて非常にわかりやすい記事です。ぜひ一読を。
僕が現地入りした日は10月19日。災害から6日目でした。
インフラ関係は復旧して水や電気や物流も整っていました。
被害の無かったコンビニで食べ物が買えました。
変わり果てた街並みを見て立ち尽くすのみで、
一体何から作業を行えばいいのか。
一体何をしたら元の生活に戻れるのか。
言葉が出ない、思考が止まる。とはこのこと。
泥まみれになったリンゴやキノコを見ると胸が痛みます。
家や仕事や道具、全てを失ったりんご農家もいらっしゃいました。
倒れた電信柱の下で高校生ぐらいの女の子が泥まみれになって交通整理をしていました。
学校のプールには泥水が溜まり手付かずのまま。
住居以外はほぼ手付かずの状態でした。まだ住居も整っていない。それどころじゃない。
水は引いたものの家にはドロドロした泥水が溜まっています。
トンボや塵取りで泥をすくって、土嚢袋に入れて、乾かして、捨てる。
5-6人で作業をしてもなかなか泥がなくなりません。雨で削り取られ運ばれてきた泥があらゆる所に入り込み、あらゆる家財は捨てざる終えない状態です。
作業をしているといつの間にか泥まみれ。泥は油のように服にこびりつき取れません。
ひたすら、棚や泥まみれの道具、泥を出しました。何度も何度も、土嚢袋に泥を入れて。
この泥に隠れたガラスや刃物は本当に危険です。簡単に長靴が破れます。
トラクターなどの農業機械は全てが水没して泥があらゆる所へ入り込んでいました。
家は床を剥がして床下の泥をかき出しました。
このあとは石灰で消毒をして、ストーブを焚いて乾燥させるそうです。
アップルラインにはリンゴ農家の直営店が並び、本来ならこれからがリンゴのシーズン。
出荷直前のリンゴは泥を被り、全て廃棄するそうです。
千曲川は何度も氾濫し、水害をもたらしてきた川。町には水が来た記録を残した石碑があるそうです。
電信柱には想定浸水域を示す看板がありました。
この地域の方のほとんどは避難済で人的被害は少なかったそうです。
この地域も元々は曲がりくねった千曲川を真っ直ぐに埋め立てたり、沼地だったところを田んぼにしたり、後に家が立ったそうです。
地名は大沼、赤沼、赤池という地名。
どこからか運ばれて家に突っ込んだ自動車。
決壊したすぐ近くの体育館の道路は全て剥がれていました。
ここは決壊したすぐ近くの道。大量の水の通り道となりました。
家も数件流されて基礎しか残っていません。
ブルーシートの箇所が決壊した現場です。
決壊した先はすべてリンゴの木が生えていたそうです。
奇跡的に耐え抜いた家は土砂や泥をかき出し、また住めるようにと家から瓦礫や泥を出しました。
ここもリンゴ畑。
一体リンゴの木はどこへ行ったのか。抜けどこかへ流されてしまったのか、僕が立っている泥の下に埋まっているのか。
泥の粒子は細かく、家財は何度洗っても泥臭いまま。粘土のようにこびりつき、タワシで擦っても取れません。ほとんどは廃棄しなくてはなりませんでした。
捨てる物は指定の瓦礫置き場まで軽トラに乗せて運びました。水に濡れた瓦礫は想像を超えた重さです。
瓦礫置き場へ畳と土嚢を運びに行ったら「畳が来たぞー!!」と現場の人達が叫んでマッチョな人達がでてきて、激重な畳を荒々しく豪快に瓦礫を投げる男達の登場に少し笑ってしまいました。
僕たちは泥をかき出し、瓦礫をトラックに乗せるだけでクタクタだったので、この水害瓦礫をポイポイ投げる屈強な人達には感謝しかありませんでした。
現在はゴミがありすぎて、置き場所がなくなってしまったらしいですね…
町中の公園もゴミの一時保管場所となっていてどこもパンク状態です。
災害支援で感じたこと
僕達は大雨洪水警報が発令されたため、1日早く撤退しました。
自分の生活や仕事もあるのであまり長居はできなかったですが、少しでも復興の力になれば嬉しいです。
ボランティア活動は1日でも、直接被災者の所へ出向いてお手伝い出来ることがあるか尋ねても良いと思います。
支援は作業をしなくても遊びに行って観光したり、お金を落とすだけでも十分です。ちょっと意識して長野産のものを買うだけでも十分だと思います。
リンゴ本当に美味しかったです。
災害からは数週間が経ちましたが、水害の被害は大きく、災害からの復旧はまだまだこれからです。
水害の被害はとてつもない力で全てを押し流し、変わり果てた生活からに戻るためには果てしない労力と時間が必要だと感じました。
その反面、人の温かみを感じた災害支援でした。
印象的だったのは、家が水没し傷心して一言も言葉を発せず、座り込んでいた独り身のおじさん。
ボランティアセンターへも助けを求める事も出来ずにいました。
皆で土砂の運び出し作業をしていくにつれて少しずつ相槌ができるようになり、お茶などを差し入れしてくれました。
いかにも高級そうな栗の羊羹をいただいた時には僕達は大はしゃぎして羊羹にかぶりつきました。美味しかった。
この時やっとおじさんと会話を交わすことができて、「この羊羹美味しいですよね」と笑ってくれました。
ボランティアの身分で被災者から食べ物を恵んでもらうなんて非常識と考える人もいますが、断らず有り難く受け取って良いと思います。その差し入れもコミュニケーションの1つで、会話が弾むきっかけになりました。
伝統料理を頂いたり、作業が終わったら「とりあえず呑みましょう」とお酒をいただいたり。
誰も落ち込んでばかりじゃなく、また家を復元しよう!また住める家にしよう!そんな前のめりな前進するエネルギーを感じました。
なんだか、毎日殺伐とした電車に乗って通勤して、働いて。
消耗していた自分が助けられたような気持ちになっていました。
次はここへ遊びに行きたいです。
リンゴを食べたり、野沢菜を食べたり、蕎麦も食べたり、沢山の美味しいものを沢山食べに行きます。
ちなみに募金についてはカメラマンの横田さんの記事の通りネット経由が一番確実です。
被災した一部の内容をまとめただけですが、この記事で災害現場の現実を少しでも知っていただければと思います。
読んでいただけるだけでも大変嬉しいです。もしご支援を頂いた場合は新たなチャレンジへ使わせて頂きます。