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寝て、食べて、走る、生き物になった旅

寝て、食べて、走る。
の繰り返し。

今から7年前にそんな生き物みたいに自転車で日本を走り回った旅をした。

空が薄赤く染まり、鳥が鳴きはじめた頃。
決まった時間に自然と目が覚めて、人々が行動を始める前に自転車に乗って次の街に向かって走り出す。

日が暮れて、人が居なくなった頃合いを見計って寝袋を広げて寝る。テントは目立つから使わない。

無駄が無い。規則正しい生活。
旅人という生き物になった気がした。

革命的でもないし快適とも言えない。暑かったり、寒かったり、全身から動物の臭いがしたり。真冬の公園で頭を洗ったり。
それでも疑問は湧かない。

北海道への冒険

春に家を出て太平洋側を走るうちに夏になった。
家の無い生活に慣れた頃、北海道へつながるフェリー乗り場まで到着した。ここは本州の端っこの青森。

船に乗って、次の島へ行ける。新しい冒険は決まって海や川を越える。
ポケモンならジムバッチを見せないと前に進めなさそうな雰囲気だ。

一歩踏み出した北海道は嘘みたいに広い場所で見たことがない空の広さだった。

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北海道最高峰への旭岳登山

遠くに所々に雪が付いた山が見える。旅中の登山はあまり考えていなかったが北海道の自然の中心にそびえる北海道最高峰の旭岳へ登りたくなった。

ママチャリで登山口まで走っていたら、偶然カヤック&ヒルクライム&登山の大会に遭遇して「これで大会来たの?」と驚かれた。
偶然道が一緒なだけです。

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どんな天気でも楽しめるようになったのがこの登山がきっかけだったりする。
一緒に旭岳を登った人に「雨ばかりで旅のモチベーションが上がらない」と話したら
「それも旅やで」と言ってくれた。

確かにそれも旅か。いつの間にかネガティブに考えていた自分に気がついた。

お金を盗られてアルバイト

礼文島で桃岩荘という北海道で一番馬鹿になれると言われるユースホステルに泊まり、「愛とロマンの8時間コース」を歩いた。礼文島を北から南までを歩く30キロの本格的な登山道で、実際には10−12時間かかる。
10人くらいの他のお客さんと共に地図と弁当を渡されて「いってらっしゃーい!」と送り出される。

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想像以上に険しい登山道で名前も顔も知らない人同士で年も大きく離れているのに不思議と全員と仲良くなれた。

利尻島ではテントを張り続けてキャンプ場を家のようにして島生活を満喫した。釣りをしたり、ハイキングをしたり自転車で走り回った。
毎年テント生活をする小学校の先生と知り合い、熊笹茶を作ったり、先生の秘密の絶景へ案内してもらったり。

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定着しすぎて、フェリー乗り場で観光客を送り出したりもした。

島をでる最後は先生が送り出してくれた。

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稚内へ戻り、アルバイトを始めた。
実は札幌でお金を盗られてどこかでお金を稼がないと生活費が苦しく、アルバイト先を探していたのだ。
でも見つからずに北の端っこの稚内にまで来た。

漁師の店では昆布の干し方、ウニの捌き方、ナマコの捌き方、海の食材についてたくさん教わった。ここでの生活は本当の家族のように感じた。
家を出れば海が見えて、綺麗にツンと空に伸びる利尻岳と夕陽を見ながら1日が終わる。
女将さんと良く夕焼けを見に行った。

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もしウニを食べるなら稚内の漁師の店へ行って欲しい。絶対にここのウニが美味しい。利尻昆布をたくさん食べたウニは昆布の旨味が凝縮されていて、捌きたてのウニは粒が立って美味しい。

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道無き世界遺産の知床岬へ

北海道には知床半島という日本最大の広さを持つ世界遺産がある。
だから道路も無く、行く手段は船か道無きところを行くしかない。
ほぼ人工物が無く完全に手付かずの自然が残る場所だ。

ヨットで日本一周をしている方とも出会って知床半島へ連れて行ってもらった。

オホーツク海は静かで鏡のように境界線が無い海だった。
世界は海に沈んで、このヨットだけになったみたいだった。

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突然、鏡が歪みだし波紋が伝わってきた。その先を見るとシャチの家族が漁をして飛び跳ねて魚を食べていた。

僕はシャチに出会えて心から嬉しかった。
現地の人には当たり前かもしれないけど、豪快に飛び跳ねて魚を食べるシャチと出会ってから「日本にもシャチが居るんだ」と意識するようになった。

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知床半島の先端は熊と漁師が共存しており、狐は意外と人懐っこく、熊は意外とそばに居る。ウンコが臭いからすぐに気がつくのだ。

水平線まで広がる雄大な大地とそれに生息する動物に感動した。


知床半島の先っぽはオホーツク海と太平洋がぶつかる潮の場所。波が立ちヨットは跳ねて船底が海に叩きつけれる音がする。
ものすごい衝撃と音と風。死ぬんじゃないかと思うほどの荒波で写真がほぼない。体が外に投げ出されないように体に縄を巻いた。

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ヨットを操るお父さんは笑いながら「オラッオラッ」っと船を操り波をかき分けて進んでいく。強烈な思い出。

寝て、食べて、走って次の目的地へ

真夏なのに根室岬では6度ぐらいになって体が体温を維持しようと震え出すし、帯広で39度ぐらいになって熱中症一歩手前までになったし、灼熱と終わりが見えない上り坂の日勝峠を越えるのに丸一日かかった。
永遠と続く雨に装備や衣類から異臭を放つようになった。
特に僕のサンダルの臭いは玄関に置くことが出来ないほどに異臭を放つようになった。


旅は常に楽しいとも限らないけど、踏み出してみたら絶対に面白い。
どこか突然に感動する場面が現れる。

北海道から離れるのは後ろ髪引っ張られるような気持ちにもなった。

北海道を後にして日本海を横目にしながら最南端の沖縄を目指して、寝て、食べて、走る、規則正しい生活を繰り返した。


最高の旅は最高に旅につながる

僕の初めての旅は自転車で勝手に学区外から出た時、徐々に行動範囲を広げて30キロぐらい先の海へ行ったり、京都へ行ったり、九州へと距離が長くなり、遂には日本一周となった。

全ての旅は楽しかったから、次の旅へと繋がった。


この年は蝦夷梅雨と呼ばれる北海道特有の梅雨が観測史上最長を記録し、ずっとジメジメして天気が悪く、旅人は「蜂の宿」というライダーハウスに沈没した。

今ではカメラマンとなりYouTuberになった友達ともなったのもこの場所。

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蜂の宿で沈没しているときに、偶然、僕の近所の高校の先生が仕事を辞めてバイクで旅をしていた。

そんな先生からオススメされた本が冒険家の植村直己の自伝とも言える「青春を山にかけて」。
本能的に行動した植村直己の自伝に一気に引き込まれた。旅や登山が好きならぜひ読んでほしい。

最高の旅の思い出を締め括るなら小説にもある文章を引用したい。
「私の夢は夢を呼び起こし、無限に広がる。困難の末にやり抜いたひとつ、ひとつは、確かに、つい昨日の出来事のように忘れることのできない思い出であり、私の生涯の糧である。しかし、今までやって来た全てを土台にして、さらに新しいことをやってみたいのだ。」

最高の旅は新しい最高の旅へ導いてくれる。

あれから登山にのめり込むようになり、今では雪山やバックカントリーもするようになった。
日本一周を終えた時に存在を知ったロングトレイルをそろそろしたい。

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最高の旅だったのか?

日本一周を終えたときに、「日本一周でなにか変わった?」と聞かれたが、僕自身は何も変わった気がしなかったし、最高の旅だとも思わなかった。
分かったことは日本一周は自分の足で走れたということと楽しかったということ。

でもこの旅は人生を変えた最高の旅だったのだと、あれからの自分はこの旅を土台にして生きて来たのだと。

あれから7年経過した今振り返る事ができる。


このnoteは、ZIPAIR様の「#投稿コンテストの参考作品として書いたものです。



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