平和で幸せな日 8月9日
「おかえり!」
鍵を開ける音を聞きつけて、待っていましたと言わんばかりに、ご機嫌な彼女が廊下を駆けて来た。
「あのね、この前ね、ハグの日だったらしいの!だから、はいっ!」
ひと息にハグがどうのこうのと言ったかと思ったら両手を広げて、何かを待っている。
「ただいま。まず、靴脱いでもいい?」
一歩下がって、上り口の場所を空けてくれる。
けれど、彼女の腕は上がったままだ。
圧が強い。
靴を脱いでスリッパに履きかえながら、期待するような彼女の瞳を見下ろして問う。
「それで、何の話だって?」
「この前ね、8月9日だったでしょ。だから、ハグの日だったの!」
唐突だ。
だいたい今日は8月15日で、8月9日はとっくの昔に通り過ぎている。
首を傾げる僕に彼女が、「飲み込みが悪いなあ。」と言う顔をしている。
自分だってハグの日なんて知らずに、今日になってやっとSNSか何かで聞き齧った情報のくせに。
ちょっと意地悪したくなって言ってみる。
「次の8月9日はあと一年後か。」
何か言い訳を探すように目を泳がすのを見ていたらおかしくなってきて、僕も両手を広げてやる。
そういえば、ドラマでは火曜日がハグの日だって言ってたなと思い出した。
嬉しそうに飛び込んできた彼女を抱きしめて、左巻きのつむじを眺めていたら彼女がくふふと笑って呟いたのが聞こえてきた。
「間に合わなかったけど、間に合った。」
さすがに来年までハグの口実がないのは僕も淋しいよ。
僕は今日も平和で幸せだなあと思った。
(満足いただけましたか、お嬢さん?)
(まだ。もっかい。あと、今日の晩ごはんは煮込みハンバーグです。)
(・・・続きはごはんの後にしない?)