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母のおせち

「ねえ、もうおせちは飽きた。」

小学生になったばかりの息子が不満げな声に、懐かしい景色が目の前に思い浮かぶ。
ブラウン管のテレビに映るお笑い番組、昼間から酔っぱらって炬燵で寝てしまった祖父と父、机の上には朝も昼も食べたおせち。
少し歳の離れた兄と従兄は早々に食事を終え、別室でテレビゲームに夢中になっている頃だろう。
今となってはおせち料理の良さも分かるようになってきたけれど、あの頃の私には確かに魅力的ではなかったように思う。
それにお正月なんて特別な日に食べる物にしては地味だし、毎食同じものが食卓に並ぶことも嫌だった。
だから、あの日の私も息子と同じセリフを母に吐いたのだった。


「ハンバーグとか唐揚げが食べたい。」

続く息子の声に我に返って笑ってしまう。
さすが親子。その後のセリフまでばっちりシンクロしている。
何から話そうかと悩んでいると、私が口を開くより前に息子を宥めるように夫が言った。

「お正月はな、みんなが休む日なんだよ。お母さんだってお休み。食べるものがあることが当たり前だって思わずに感謝しなさい。」

「そんなの、お母さんの手抜きってことじゃん。おせちってあんまり美味しいもの入ってないしさあ。豆とか小さい魚とか地味なものばっかりじゃんか。食べたいものがないんだもん。」


私の思い出の中では、夫のセリフは祖母のものだった。
毎日忙しく家族のために働いてくれる母にお正月くらいは感謝しなさいと言われて、かつての私も目の前の息子と同じように納得できなかった。
もう20年以上も前の懐かしい思い出だ。
今年は息子と夫と3人で正月を過ごすことにしたから、本当はおせちは用意しなくてもいいかなと思っていた。おせちが小学生の息子にとってあまりそそるものではないことは当然予想できたし、年末におせちを用意するよりも毎食冷蔵庫と相談しながら食事を用意する方が家計にも優しく、実際のところ手間がかからない。
ぎりぎりまで悩んでそれでも用意することにしたのは、母の言葉が忘れられなかったからだ。


「そうよ。これはお母さんのため。」

あの日きっぱりとそう言った母は、やっぱり手抜きじゃんと意気込む私に笑いかけて重箱の中身を指さした。

おせち料理には意味があってね。
黒豆は「まめに元気に働けるように」、田作りは「豊かな実りがありますように」、栗きんとんは「商売繁盛、勝利」、昆布巻きは「健康、長生き」、れんこんは「未来の見通しが良くなるように」、海老は「長寿、成長」、ブリは「出世」。
お母さん風に言うと、家族みんなが「元気で過ごせますように」、「長生きできますように」、「食べるものに困りませんように」、「お金に困りませんように」、「明るい将来が待っていますように」ってこと。

もちろん、おせちを食べたからって人が変わるわけでもなし、何が起きるわけでもないのは分かってるの。
でも、何かあったときにあのときおせち料理を食べさせなかったからだって思うのが嫌なのよ。
それにもしかしたら本当におせちのおかげでいいことがあるかもしれないでしょう?
家族のためにできることはしておきたいっていうお母さんのためにみんなにはおせちを食べてもらってるのよ。
だからあなたも食べておいてね。

まあ、年始くらいはゆっくりしたいっていうのも本当だけど。

最後にお茶目に笑った母の目はとても優しかった。
今の私の目は優しいだろうか。
あの日の母の想いをなぞるような私の話を聞いて何かを考えるように静かにおせちを見つめる息子を見守りながら、私も家族を想うそういうお母さんになれていたらいいと思った。




さて、気が付けば2023年も開幕していました。
今年も引き続きどうぞよろしくお願いいたします!