母親という絶対

子供にとって母親というものの影響は、思っている何倍も大きい。
何も知らない子供にとっては、母親が真実であり世間であり全てであるように思える。
そして、小さい頃に刻まれた価値観というものは、何年経っても、大人になっても、なかなか抜けきらないものである。

私が小学校1年生や2年生のころ、世間はちょうどAKB48などのアイドルの全盛期で、周りの女の子たちはほとんどファンになっていた。けれど私だけは、なかなか興味を持つことができなかった。もともと私がみんなの好きなものが嫌いという捻くれた性格だったこともあるけれど、大きな理由は、母がアイドルを見るたびに「うちの子の方がかわいい、みんなブスばっか」と言っていたからである。幼い私は、まだ人のブスだとか可愛いだとかが分からないこともあって、母の言う通りに「あ、この子たちってブスなんだ」と思ってしまうようになった。

他にもちょっと若手の歌手やバンドが出てきた時に、私がこの歌い方かっこいいなあと思った人に対して「こういうかっこつけた歌い方きもちわるい、お母さん嫌い」と言っていた。アイドルの時とは違って、自分自身が良いと思った物に対してこう言われてしまったが、不思議と母に怒ったり悲しくなったりせずに「これは気持ち悪い歌い方なんだ」と素直に思ってしまった。

何も知らない幼い頃は、物事の判断がまだうまくつかない上に、想像している以上に純粋で柔軟だ。私は今も流されやすい性格ではあるが、こんなに簡単に意見に呑まれてしまうのは幼い子の純粋さと経験不足が生む特有のものだろう。そんな中で絶対の存在である母親からそういう強い意見を聞いたら、自分も同じように思ってしまうし、今後もインプットされてしまう。
実際に私も、つい最近までアイドルというものに抵抗感がずっとあった。そんな自分自身がアイドルというものに救われてから、もっと早く知りたかった、と常々思っている。歌う時も、出来るだけ真っ直ぐな音で機械のように、なんの捻りもなく歌うことを心がけた。小学生の頃にボーカロイドにハマったのも同じような理由かもしれない。その時も、元々の肉声ではない歌声は好んで聴くことができたが、それをだれか人が歌っているものは聴くことができなかった。大きくなって普通の人の歌声を聴き、私も普通に歌うことを覚えてからは、歌うことがすごく楽しくなった。

私は母の自分の意見をしっかり持っているところがすごく素敵だと思うし、私を可愛い可愛いと褒めて育ててくれたことにもとても感謝している。だが、もう少し他の意見も認めることを言って欲しかった。
子供は、まだ物事の分別がつかないか、もしくはなんとなくで母親と全く違う意見を持っていることもある。そんな中で、母親というとてつもない影響力で何か言い切ってしまう言い方で意見されたら、その通りに思ってしまうのが筋だろう。

何か思うことがあっても、「お母さんはこう思うけれど、これもいいね」と言ってみてほしい。

同じ人間は誰一人としていないという考え方を持っている方が、圧倒的にこの世を生きやすいと思っている。そしてそれを認められる力があればなおさらだ。幼少期から自然にそうインプットすることができる方法は、やはり母親やそれに近い存在がそう思うことが重要だろう。どうか、自分とは対極の物事や考えがあっても、いずれも出来るだけきっぱり否定しないでほしい。母親の「嫌い」という言葉はほとんど呪いだ。子供の意見に対してではなくてもだ。

子供の視野の広がる可能性を潰すことだけは、どうかやめて欲しい。肯定してとは言わないから、どうか何事も否定しないで、存在すること許してみてほしい。

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